奥さんとの会話。
「やった!84キロを切った!」
「それはストレスじゃないの?」
「仕事をしたいのにできないからかな?」
この後、手の具合からドクターストップの話となり、先日車をつついてから炎症を起こして指が痛くなった話へと続いていき、今はまだ我慢しようねって僕が励まされる側へと帰結する。
僕はただ単に体重が減りつつあることを喜んだだけなのに何故こうなるのか?
話のベクトルがマイナスに向かう要素は何か?
最初の時点でのターニングポイントは、おそらく
「やった!84キロを切った!」
「それはストレスじゃないの?」←ここ
「仕事をしたいのにできないからかな?」←ここ
この2箇所。
1番目の「それはストレスじゃないの?」については、
物事にマイナスの意味を持たせる傾向はマスコミの影響なのか、将来へのおそれがそうさせるのかは分かりませんが、こちらは僕のセリフではないからコントロールできない。
コントロールできるのは、それに答えようとする2番目の、
「仕事をしたいのにできないからかな?」
です。
これを、
「それはないんじゃない?」
って、言えば良かった。
あと、一緒に喜んでもらおうと思って言った
「やった!84キロを切った!」
も差し出がましい願いではなかったか?
人の感情なんて期待したり、自分がコントロールしたり期待するのは無理な願いというものです。
そういうことか・・
「やった!84キロを切った!」
「それはストレスじゃないの?」
「仕事をしたいのにできないからかな?」
この後、手の具合からドクターストップの話となり、先日車をつついてから炎症を起こして指が痛くなった話へと続いていき、今はまだ我慢しようねって僕が励まされる側へと帰結する。
僕はただ単に体重が減りつつあることを喜んだだけなのに何故こうなるのか?
話のベクトルがマイナスに向かう要素は何か?
最初の時点でのターニングポイントは、おそらく
「やった!84キロを切った!」
「それはストレスじゃないの?」←ここ
「仕事をしたいのにできないからかな?」←ここ
この2箇所。
1番目の「それはストレスじゃないの?」については、
物事にマイナスの意味を持たせる傾向はマスコミの影響なのか、将来へのおそれがそうさせるのかは分かりませんが、こちらは僕のセリフではないからコントロールできない。
コントロールできるのは、それに答えようとする2番目の、
「仕事をしたいのにできないからかな?」
です。
これを、
「それはないんじゃない?」
って、言えば良かった。
あと、一緒に喜んでもらおうと思って言った
「やった!84キロを切った!」
も差し出がましい願いではなかったか?
人の感情なんて期待したり、自分がコントロールしたり期待するのは無理な願いというものです。
そういうことか・・