先日、取引先で「物を修理する技術は日本は外国に負けている」とのお話を聞きました。

日本でスクラップになった車やら建設機械がどんどん海外に引き取られていく。

それを直して立派に使うのが海外では、もはや普通のビジネスになってる。

日本国内で生産終了となった機械を、わざわざ海外で購入して日本で使うなんて現象も起きてきているらしいです。

何故か?

それは、国内のビジネス形態が変わったからでしょう。

物が壊れたら、すぐに取り替え。

節約したくても、「これはもう生産してないから買い替えてください」って言われる。

部品はあっても、修理部品がなくて、アッセン交換でそこの部分は新品まるごと交換。

修理業界では、もう随分前からこうなってます。

これでは”修理屋”ではなくて、”取替屋”ですよね。

一部しか変えなくていいものを、部品設定が無くてアッセン交換→部品代が高いからお客さんがお金を払えない→仕方なく工賃を切り詰めるので工場は採算がとれないというスパイラル。

エアコンの操作パネルのバックライトが切れたから球を取り替えようとしたら、ソケットが独自のもので、パネルごと取替で部品が2万5千円なんてこともあります(その時は”改造”して球だけ交換しましたが)。

そういうわけで、採算がとれないから忙しいだけのお店とか、部品代を建て替えられないところは開店休業みたいな工場がけっこう多いです。

基本、仕事は取り替えだから、修理の技術もどんどん廃れていきます。

更に、自動車整備士の資格は、非常に取りにくいシステムになっています。

例えば、3級整備士を取ろうと思えば、学校に行くか実務経験が要ります。

実務経験を積むには、整備工場で働かせてもらえなければならない。

でも、業界が疲弊していて資格があってさえ、なかなか入れない状態です。

事実上、資格を取るには専門学校に行くしか無い。

どの分野もそうだと思いますが、学校では理論は教えてくれますが実践は無いです。

そうやって入社してくる資格を持った新人にベテランは”ペーパー”という呼び名を付けます。

実務経験があっても実技試験が(実務とかけ離れた理論に基づいているので)やたら難しく、振興会が主催する実技免除の講習に半年行かなければまず取れませんので、忙しいベテランには現実無理で、学校で資格を取ったお兄さんに対してはどうしても感情的になります(これは、その人に対してじゃなくて実は社会に対しての憤りだと思いますが)。

だから、新人にとってもやりにくい職場になります。

メーカーと、その主催する学校や、専門学校、あるいは職業訓練校のシステムとその影響力が、実力主義であったはずの整備士の存在を変えてしまいました。

なにかあるとすぐ”指導”が入りますしね。

資格が無いと何もできない、”ルール”に従ったものでないと使ってはいけないという規制は、日本の技術を消してきたんじゃないかと危惧します。

”直して使う”という文化、もっと大事にしてもいいんじゃないかな・・・

・・・というより、虐げられた庶民が文句をいうだけで団結もせず、行政に対して声も上げないからこうなったのか・・・

黙っていたらいいようにされるのが世の常ですからね。

どのジャンルも似たようなことが起きてるんじゃないでしょうか?