むやもとみさしの多芸ブログ

整備のことやら読書のことやら高知県の魅力やらを紹介します。

2018年05月

学生のころ、和式水洗トイレで水を流してどっこいしょって立ち上がった時に、ばあちゃんからもらった小さなお守りが落ちました。

そのまま流れてしまったんだけど、帰省した時にそれを言ったらばあちゃんが激怒した。

今にして思えば、唐突に言ったので便器にお守りを捨てたって思ったんだろうと思うんだけど、その時には、何故に怒るのかが分かりませんでした。

言い方ひとつで相手のとらえ方も違うもんだと思います。

その前に、わざわざ言わなくても良かったんじゃないか?

って思う。

大事に持ってますよって事で良かったんじゃないかな?

思いやりが足りなかったな。

そういう生真面目さは日本人の特性かもしれないけど、社会を見渡せば、学校、マスコミ、家庭に至るまで潔癖症(病?)が蔓延しているような気がする。

思いやり=忖度

なんだか似てるような気もする。

忖度したかどうかなんてもはやどうでもいいと思うけど、白黒つけたがる社会っていうのも窮屈なもんだと思いました。

あんまり緩むのも困るけど。

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子供のころ、僕は親や祖母と言い合いになることが多々あった。

高校のころになると、屁理屈も覚えてなかなか生意気なガキになっていた(んだろうと思う)。

女性には多いが、同じ話を何度もするという習慣が祖母にもあって、小さいころから宗教の話を繰り返し聞かされていてうんざりしていたのもあっただろうけど、僕は遂に持論を展開して反撃に出た。

しかし、しばし言い合いをして、祖母が答えられなくなった時に妙にかわいそうになった。

だからといって、その時に謝ったりはしなかったのだが、一つ教訓を得た。

議論をして勝ってもいいことはない。

そこで相手を打ち負かしても、恨みを買ったり人間関係に亀裂が入るばかりだ。

増してや年寄りを苛めたとなると気持ちも悪い。

それから、徐々にだけど、僕は言い返したくなった時には一呼吸置くようになった。

自分の中の目的も、相手に勝つことよりもっと実利のある人間関係に重点を置くようにした。

これが後に「必要な事も言わない人物」という「悪評」を買う事にもなるのだが、長い目で見たら、フラストレーションは溜まるけれども、それはそれで良い結果を生み出すのではないかとも思う。

黙っているとボディーブローのように相手にダメージを与えることもあるようだけど。

それでも、時々激発的な感情が出るときもあるのだが、概ね良い人生をおくれているのではないかと思う。

祖母のお陰だ。

生きてる時に言うと舞い上がる祖母だったので生前には言わなかったけど、そういう感じで大きな遺産を貰ったと思ってる。

ありがとうございました。
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