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カテゴリ: 思うところ

最近、思考が現実化するというのをさらに進めて前提が現実化するんだというのを聞きました。

なるほど、そうなんだろうなと思う。

例えば、今いる学校をやめたらだめだという前提を持っていると、どんなにいじめられてもとりあえず残ろうとする。

学校をやめれば環境が変わってすべてが一変するというのに、それには気づかず、なんでこんなにいじめられるんだろうなんて悩みながらもなんとか在籍する道を模索する。

前提が潜在意識レベルになると、本当の問題に気付かない。

無意識にそこを避ける。

無意識レベルの前提、思い込みを実現するために脳はいろいろ方法を考えて行動させようとする。

とすると、自分的にはなんでこうなるのか分からないってなる。

前提が現実化するという事はこういう事ではないのか?

であれば、意図的に前提、目的を変える事ができれば、あとは自分の脳がそのままオートパイロットで連れて行ってくれるんだと思います。

これが分かればあとは簡単。

行きたいところへイケイケどんどんです。





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♪インドの山奥で修行してー♪

ご存じレインボーマンの主題歌である。

僕はこれを聞いて、子供心に、うわー、凄いんだなぁって感心していたもんである。

そう、インドで修行するとなんかすごい感じがするのである。

いや、したと聞いただけで、もう悟りを開いたヒトみたいに思うもんだ。

本当に凄いかどうかは会ってみないと分からないんだけど、ヤマトタケソはレインボーマンに変化するので凄かった(が、悟りを開いいたのとは別のような気がするが)。

大人になって中村天風先生の本を読んだ。

肺を病んで、カンチェンジェンガでカリヤッパ先生の指導の下、ヨガの修行をしたとの事。

これもすごいと思った。

僕の感心メーターはマックスに振れたが、更に天風先生の本を読んでいるとちょっと戻った。

天風先生によると、当時のカンチェンジェンガでは腰布してても皆さんほぼフリチン状態で、天風先生がフンドシというものを教えてあげたら、見ていた偉い人(?)が慌てて飛んできて、そんなもので締め上げると体に悪いって言われたのだとか。

この状態で一生何も考えない修行をするというのは楽しいのか?

文明に毒された僕には理解できなかったけど、それがデフォルトなのであれば多分幸せなんだろうと思う。

で、この状態で悟りを開いた場合、レインボーマンに変身できるのか?

できてなんになるのか?

もはや何のメリットも感じられなくなってしまった僕の脳裏にはひとつのひらめきがあったのであります。

「遠い異世界で修行して帰ってきたんだゾ」

っていう売り文句は、

「俺は大企業にいたから何でもわかるんだゾ」

っていう、マウンティングと同じなんではないかと。

確かに、なんか凄そうって思ってもらえればとても嬉しい。

宗教の先生でも、総本山で修行してきましたとか、本部にいましたって言われると、勝手に凄いんだって思って貰える。

ネットワークビジネスで言われるティーアップってヤツですね。

そこにいたから凄いのと、本当に凄いのとでは微妙に違うんだと思うんだけど、凄いの定義があいまいなので、その人の言っている意味では多分凄いんだと思うというのが本当の所なんだろうな。

というわけで僕らの脳は、なんだかわからない事ですぐに結論を出してしまう即席麺みたな働きをするんだなって事が分かりました。

凄いな〜・・

今度からできるだけなんも考えずにAIに考えてもらお♪

いや、AIも何が凄いんだかまだよく分かりませんでしたね。





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re


この本読んでて思った。

絶対の積極とは本当にしたい事から生じるという事を。

自分に正直であれば、自信が湧いてくる。

当たり前なんだけど、それにはなかなか気づかない。

これが、本心ではしたくない事、なんだかしっくりこない事、誰かにやらされている事をやってたり言っていたりしてると、本当の自分というものがそれは違うぞとか言っていて、結果、心や行動は消極的になる。

問題は、子供の頃や社会、宗教から習慣づけられて自分の本心が分からなくなっている事である。

こうじゃないといかん。

という思い込まされてきた思い込み、これを破壊しないと自分の本心には気づけない。

しかし誰がどう言っても、自分の本心は好きは好き、嫌いは嫌いで変わらない。

それに正直でないと幸せにもなれないし生きにくいだけですよね。

その契機が失業であったり怪我であったり社会の崩壊であったりとなかなかキツイものでありますが、それを経験せずとも方向転換するのが天風哲学であると思います。

三つ子の魂百までというは言いますが、過去の思考習慣をスパッと切り捨てて、自分の適性に正直に生きていければ、地獄のように見えていた社会も、実は明るく楽しい世界に変わるものと思われます。





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2004年の朝も無事に目が覚めてとにかく胸をなでおろしたところですが、いきなりの日本海側の地震で今年はより変化の年になるんだろうなと実感した次第であります。

元より、自然界は時々刻々と変化しているわけで、何事もなくても経年劣化でいつかは死ぬという事実から目を向けようとしても、それは無理だわという事は毎朝鏡を見て理解しております。

高知県もいつ南海トラフ地震が起きるか分からないわけで、できれば平穏に天寿を全うしたいと思うのが精一杯の願いではあります。

一休さんの「門松は冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」という句を思い出し、人生は永遠に続くと思っていた青年の頃の青さが心に染みてきます。

魂を成長させるためにエイブラハムの所からやってきたという生まれ変わりがあるかどうかは分からないけれど、限りある今回の人生、今この時点で満足できればそれでよし、それ以上でもそれ以下でもないよねといきたいところです。

という事で、今現在生きていられるんだからありがたくもおめでたい事だという事で、僕的にはとてもおめでたいお正月であると思っています。

おめでとうございます!

今年も一年、よろしくお願いいたします!






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今年も残すところ数時間。

色々あったけど、いい一年でした。

かなり本も読めたし。

来年は年男。

還暦を迎えます。

辰年生まれなんで、なんだか昇れるような気がしながらこの年を迎えました。

特に出世も望もしなかったけれど、そこそこには成功したかった。

まあ、思い通りには来たんじゃないだろうか?

日本の国が増税と社会保障費で、これほど国民を苦しめる事になるとは思わなかったけれど、まあ、それも訓練と思えば耐えられないこともないか・・(?)

というより、生きてるんだから死ぬわけにもいきませんしね。

お金の件で望みを高く持たなければどうという事もない。

それよりも安定と幸せを求めて生きたい。

来年は色々変化を迎える予感がするので、楽しみでならないのですよ。

そう思えばそうなると思えるようになったのが今年の成長です。

ともあれ、みなさま、今年もお世話になりました♪


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何週か前、「うちの弁護士は手がかかる」を見てたら、ムロさんが、

「怒っていいんですか?」

って聞いたら平手さんに、

「怒っていいんです。怒るべきです」

って言われてました。

そう、この状況で怒っていいのか悪いのか、それさえ分からなくなる人種というのがいるのです。

小さい頃から、感情を出す事への事への周囲のの過剰な反応が、怒る事への罪悪感へと繋がって、いわゆる”いいひと”というのを作り上げます。

こういう人は、周囲に、いわゆるテイカーという種類の人間がいて、搾取され続けてきたものと思われます。

都合よく利用してそれはできないと拒否すると締め上げてくる毒親、上司のようなものだと思います。

人間社会の構図は概ねそういうものでできているとは思いますが、いつまでも搾取される側にいると、寂しい末路しか見えなくなる。

せめて3回に一回ぐらいは断りたい。

否定するたびに怒鳴る必要もないけど、感情は出さないとWin-Winの人生は送れない。

という事で、まずは自分の必要を満たし、それから他の人を助けるという確固たるルールを確立するべきだと思います。

どこまでも要求してくるクレクレタコラを自分の周囲から駆逐し、持ちつ持たれつの関係を築ける人とだけお付き合いするには、時には感情を出すことは必須だと思います。

その前に、自分は本当は何が嫌で何が好きかという事を理解しないといけないのが厄介な所ですけどね・・




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サラリーマン時代に社長が言った。

「今度増資するから」

僕は思った。

それが僕に何の関係があるの?

意味が分からないままにその後退職したのであるが、もしかしたら給料が増えるという話だったのか?

たとえ昇給しても、小遣いの変わらない僕には何の影響もないのであった。

いやむしろ、昇給したんだから売り上げを上げろという事にでもなれば、かなり影響がある。

昇給しても奥さんは、

「あれだけ働いてるんだから当然よ」

的な言い方をするだろう(してきた)。

これは板挟みになる自分がかわいそうだと思ったものである。

よく考えたら、誰かのせいにして誰かを利用しようというロジックは日本社会ではもはやスタンダードである。

「少子高齢化で社会保障費やら税金を上げないと大変なので上げます」

っていうあのシンプルな論理は典型的なものではないだろうか?

少子高齢化はお前たちのせいだみたいな感じがする。

それは自然現象なのかもしれないし、過去の政治の失敗なのかもしれない。

少子高齢化にかなりの影響をもたらしたのが、過去の社会保障費増額と消費増税であったと思われるのに、それを増やす理由がまたそれかいみたいな気もする。

いずれにせよ、何か(あるいは誰か、もっと酷いのになると、あんた)のせいだからこうしますよってなし崩しにやってくる災厄。

言われた本人は素直に、

「ああ、そうなんだな、自分のせいだな」

なんて自分を責めながら奴隷として落ちていく。

誰のせいでもないから、今この現象をどうにかしようとしようよ!

なんて、思う人は少ない。

理由ばかり考えてて実行する対策は、今までの延長でしかない。

なんででしょうね。

楽だからかな?

いや、自分のせいだって言われたくないという一語に尽きるのでしょうね。

どうにかこの思考習慣から脱出したいものです。
















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ビジネスで、あり得ないと思っていたのがいました。

それは、商品の原価を聞く客!

非常に不快な思いをしました。

いや、友達ではいないこともなかったけど、それは同業での話。

色々勉強したり交渉して仕入れ先を開拓しているのだから、そこは企業秘密です。

お客さんでこれを聞く人がいるとはびっくりしました。

これはマナー違反だと思う。

こちらも利益を乗せた額を言えばいいだけだけど、どこで仕入れてるんだとか聞いてくるのは論外。

こちらはそれで食ってるんだから原価を知りたがると言う事は、

「お前それだ乗っけてるんか?」

って批判してるのと同じで、直接言わなくても、なんだか批判されてるように思います。

興味はあるかもしれないけど、後々の事もあるし、こういうマナー違反者は即取引停止です。




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歳を取るとキレやすくなるらしいが、僕は若い時から時々キレていた。

お友達からは、「こいつは突然怒り出すからなー」なんて言われておりました。

僕としては、ぎりぎりまで我慢して、

「なんでそこまで言われないといけないんだー!もうやめてくれー!」

っていう悲鳴(ヒステリー?)なんだけど、どうもそういう風には取られないらしい。

それが、最近、youtubeの動画を見ていて、舐められる人の特徴に気づいた。



ギリギリまで我慢しすぎである。

子供の頃絶えず言われていた

「そんなこというたらいかん」

という声を聞きすぎていました。

この言葉は取引であって、それに従わないと家には居場所がないぞという強迫がセットになっていた。

この感情は繰り返し起きていて、学校でも職場でもイエスマンでないと居場所がないという強迫観念となって、ちょっと指導されるとひたすらじっと我慢するか、キレた後にもう終わりだと感じて辞めてしまうという拒絶反応を起こす。

言うべきことを言うのと、拒絶してキレまくるのとでは違うはずなのに、この区別がつかない。

これはもう克服したと思っていたのだけれど、先日よく似た事が起きました。

車検を紹介してくれるというので、紹介料一万円という話で見積もりを出しました。

まずは見積もりを出す。

かなりギリギリの線で、法定費用込みで5万円ちょっと。

そうすると、部品交換を加えてもう少し取っていいというので、8万円弱になりました。

見積もりを出すと、それでいいというのでそれで実施。

お金を領収して紹介料を渡して感謝して帰ると、しばらくして電話がありました。

工賃取ったら悪かったようなことを言うので、見積もりで承諾していたのではないかと聞くと、明細を説明し始める。

お金を返せばいいのかというとそうじゃないとの事で、突っかかって来るんだったらこっちも言わせてもらうとかいうんだけど、また工賃の説明が始まる。

僕は修理込みで車検が8万弱(そのうち1万円は紹介料)でできたらええやんかと思っているんだけど、知人はどうやらユーザー車検の値段を考えているのでしょう。

ユーザー車検の値段で部品代立替で修理工賃抜きだったら僕はどうなる?

これはかなり舐められてるなって思い出したら声が震え始めた。

じゃあどうすればいいんですか?

って聞いたら、また説明が始まるので遂にキレて、怒鳴りつけて電話を切って電話をブロック。

もう二度とこいつの仕事は受けない。

もう言っても来ないだろうけど。

当たり前の反応だと思うけど、もう少し早く採算の合わないことに気づいて関係を切っていれば、紳士的な付き合いもできたのではないかと思う。

キレると自分でも嫌になるんですよ。

もう少し早めにノーという癖をつけないとな・・

迷惑かけてごめんね。

技術者は技術を売ってるんであって、舐められてなんぼって商売じゃないもんでね。

中野信子さんによると、たまにはキレたほうがいいみたい♪(やったー♪)














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いろんな人と会話していて、人の言葉の間違いをいちいち訂正する癖のある人がいますが、この人はさぞかし生きづらいだろうなって思います。

あと、言葉を長々と説明するひと。

関心のない話を延々と語られるのは苦痛だし、かなり不快です。

度を越したその行為は、相手の言う事を否定しているのと同じだと思うのですね。

本人は几帳面できちんとしていたいという動機でやっているんだろうけど、訂正される側としては、そういう事ではなくて別の目的があって話していたりします。

そこに至るまでにねちねち話の腰を折られると、

「こいつに話しても無駄だわ、めんどくさい」

ってなる。

その前に、今何を伝えようとしてたんだっけ?

ってなりますが。

話の腰を折ってまで几帳面に言葉を訂正してくる人とは自然に会話する相手がいなくなります。

そういうわけで、僕は、

「うわー、この人、生きづらいだろうな・・・」

なんて思うわけです。

自分で蒔いた種を自分が刈り取るとはそういう事なんでしょうね。

物事がうまくいくか行かないかという事はこういうちょっとした癖から分かれてくるのですね。

これは自分にも当てはまる。

ここで必要なのが、メタ認知っていうんですか、

自分の事も一旦外から眺めて同じことをしていないかチェックする習慣が欲しいですね。

いや、勉強になりました。

ありがとう、反面教師!

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三井住友銀行のOlive口座を作ってみたところ、ワンタイムパスワードの移行をたびたび勧められるようになりました。

アプリで移行しようとすると、電話認証でアプリが再起動して何度もやり直しで無限ループにはまります。

そこで、郵送に切り替えて開設したオリーブ口座で印鑑なしで送り返したら、印鑑レス口座専用の用紙でやり直してくださいとの通知が帰ってきました。

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大阪預金センターに電話(0120-56-3143)して取り寄せてくださいって書いてありました。

えっ?

ってなった。

なぜ、この通知と一緒に用紙を送り返してくれないの?

なんか理由があるのかもしれませんが、無駄な処理のようにも思えます。

ともあれ、休日でも対応してくれるようですのでありがたいと思いながらも電話して本人確認して、用紙は一週間後に辿り着くとの事でした。

お姉さんが何かご質問は?

ってお決まりの決め台詞で攻めてくるので何か言わなきゃって思って、

アプリがうまくいかないので問い合わせが多いでしょうねって言うと、

ご迷惑おかけして申し訳ございませんって事でした。

このやりとりも蛇足というか、無駄というか、まあ、日本社会には無駄も必要なんだろうけど、気長でなければ新しいサービスも受けられないんだなって思った次第です。

途中でめんどくさくなって諦める人は続出していると思う。

ともあれ、三井住友銀行のOliveを使いたければ、印鑑レスの口座から引き落としでワンタイムパスワードを使うにはまずは電話で用紙を請求してくださいということでした。

このサービスが今後伸びなければ確実にこのシステム(と類似の不具合)のせいだと思うのですよ。

ついでですが、使い勝手の悪いものは淘汰されていくのが市場の原理だと思うんです。

SMBCのCEOの方が我々は滅びるしかないって言われてたけど、問題はそこだと思うんですが・・







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大怪我して実感したのが、日本は弱者にやさしいという事。

病院に行くと、お年寄りとけが人病人ばかり。

手術中も看護師さんもとても優しい。

こちらも俎板の鯉で手術台でマグロ状態なので、なすがままなので、それが多分に影響してたのかもしれませんが。

それまではキンキンしてたので、人にも厳しい目を向けてましたからね。

優しい気持ちを持てば、相手も優しくなります。

それはともかく、弱者には優しく振舞うのが平和な日本のいいところ。

特に、お年寄りと障がいのある方には優しい。

僕に左手は完全には元には戻りませんが、認定されるほどの事でもなくなんとか作業はできるまでにはなりました。

ここまで来るのに一年半。

その間、懸命に治療してくださった、主治医の先生、リハビリの先生方、家族の優しさには感謝しております。

ということで、自分が弱者だと自覚して時点で世の中が優しくなるという法則を見出したのでありました。

頑健だとやせ我慢もするし、できない仕事まで引き受けてしまう事も多く、却って生きづらいんじゃないかとさえ思える経験でした。




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子供のころ、学校に行くのがとても嫌だった。

特に家を出るとき。

今になっては理由は分からない。

今、当時の写真を見ると、顔は苦痛に歪んでこわばった写真が多い。

ブクブクと太って悲しげな写真ばかりだ。

記憶の中でも、毎日が辛く悲しい思いが自分を包んでいたように思う。

小学校低学年の時には毎朝腹痛と嘔吐で登校を拒否していた。

近所のお姉ちゃんを待たせてまで拒絶していたものは何だったのだろうか?

それが、先日読んだ斉藤茂太さんの、「豆腐の如く-融通無我のすすめ」を読んでいて少し理解できた。


僕が衝撃を受けたのは次の文。


ヒステリーというのは、自己防衛を目的として起こる心因性精神障害で、不登校の子が、朝になると頭痛や腹痛を訴えて、不登校を合理化しようとするのはもっとも身近な例である。
多くの場合、この子たちは怠け心からウソの痛みを訴えるわけではない。
反対に、いい子であろう、優等生であろう。
無理をしてでも学校へ行こうというやせ我慢を積み重ねてきた結果、その要求に応えきれなくなぅった自分をなんとか守ろうとして、頭痛や腹痛のヒステリー症状を起こす。


ああ、あれはヒステリーだったのか・・・

思い出してみれば、祖母の口癖が、「〜せないかんぞね」であった。

子供の心には、この断定の言葉で達成すべき規範が出来上がる。

こういう言い方をしていた。

「ええかね、ぜんぶおばあちゃんに言わんといかんぞね」

心の内をすべて、目指す目標も、感じたこともすべて・・

それに対して、「そんなこと思うたらいかん」という修正が入ってくる。

自分が何を思おうがそれは自然に発してくるのであるから、それをいちいち修正されていくとどうなるか。

そのうち自分の本心が分からなくなっていったのではないか・・・

「うちの子はそんな子じゃないも」というのもあった。

付けっぱなしのテレビで非行のニュースを見ては逐一

「うちの子はそんな子じゃないも」

という。

これが繰り返されると、「ああなってはいけないんだ」という強烈な洗脳が出来上がる。

これに加えて宗教の話もあるのであるが、それもまた、神様と死んだおじいさんが助けてくれるというものでありました。

一日中、ひっきりなしに語り掛け、独り言を言い、聞き続けたこれらの言葉。

かくしていい子であろうとする幼児が出来上がり、それに達する事の出来ない自分を卑下し始める。

それがヒステリーを発する原因ではなかったか。

今生きていられるのも、面倒を見てくれていた婆さんお陰でもあるし、無くなった後、助けてくれてる可能性もあるしで、恨みに思うという事ではないのであるが、幼児期の僕にはとてつもないプレッシャーがかかっていたものとは思われます。

大人の何気ない言葉、習性が子供にはとんでもなく辛い環境をもたらす可能性だってあるのだなあなんて、思いました。

とりわけ己を知ることに尽力している最近ではありますが、これは大きな進歩になったと思っています。

ありがとうございます!











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日本人に多いという不安遺伝子ですが、それがどうしても自分のコントロール下に無いものに注意を向けさせる。

南海トラフとカ健康や税金や将来の生活、上がらない給料や可処分所得、上司や部下といった自分の力じゃコントロールできないものをどうにかしようとして考えだすと、どうしようもない不安に苛まれる。

過去はもう終わったことだから安心かと言えば、あのときこうすれば良かったなんて、どうしようもない事を考える。

こういった脳の癖が、できない教科をできるようにしようと奮闘し、得意な教科に投入する資源が少なくなって平均化された人間が出来上がる。

本当はコントロール下にある得意分野、持っている稼業、才能を活かす事に全力を尽くせば安心も得られるし、どんどん発展していくのに・・・

ああもったいない。

明日の事なんて誰にも分からないのに、むしろ今できることを伸ばしていけば確実に成功できるのに、なぜに日本人はできない事ばかりを考えるのか?

子供のころはそうじゃなかったと思うんだけど、周囲の大人が呑気にしている子供を心配して、

「こうしないとやばいよ」

ってひたすらたきつけてきたように思います。

コロナ以降、色々壊れてそれは壊れてきたとは思いますが、マスコミは相変わらずやってますね。

という事で、えも言われず不安な感情が起きてきたら、

”自分にコントロールできないことに気を向けてはいませんか?”

ってことを考えて欲しいなとか思ってますよって事でした。

コントロール下に置けないものをどうにかしようとするのではなくて、今コントロールできるものを大事にして伸ばしたいですね。

安心はそこから生まれるのですね。



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先日、福岡の一幸舎でラーメンを食べました。

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その後にお寿司とチューハイを飲んで夜寝たら、

お腹が痛い!

背中の方が痛い!

かなり長く続いたので、このまま死ぬのかな・・

なんて思い始めたころに、吐くか出すかしなきゃと思いトイレに出向きました。

出ない・・

吐けない・・

やばい・・・

なんて思いながら、

「これじゃ、うんこ出すために食べてるようなもんじゃないか・・・」

なんて下品なジョークで一人笑いながらうんうんうんうん唸りながらしばし頑張る。

結局出ないで見ず飲んで我慢して寝てたら朝には治っていました。

恐ろしかった。

またなんとか命をいただきました。

ありがとうございます!




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過去を懐かしむのは、結果が分かっているからではないか?

ふとそう思った。

先が不安なのは人間の性みたなもんなんだろうと思うけど、結果のわかったゲームを楽しみたいというのが、過去を懐かしむという行為なんではないか?

宝くじでも外れたらがっかりするんだけど、当たったところを思い浮かべて買おうとするし、南海トラフであれば、来たらどうしようなんて考える。

こうして、努めて結果を予測したがるのが人間だろうと思う。

過去の出来事や行為がどういう結果になったかというのはある程度分かっているわけだから、それをジャッジして、ああよかったとか、ここをこうしとけばもっと良くなったんだとか、改善したがるのは今後の結果をコントロールしたいから。

実は、ゲームも人生も、結果が分かってたら面白くはないんだけど。

原因も結果も関係なく、いまここにただある。

それだけが真実で、意識がその域にまで達すれば最高なんですが。

問題も、起きたらそれに対処すればいい。

あれやこれや考えていられるほど、僕らの脳のキャパシティは大きくない。

過去の記憶なんてあいまいなものだし、奇麗な記憶に置き換えとけばいいのでありますね。





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刑事ドラマとかでよく見る光景。

犯人に、

「なんであんなことしたんだ?」

って聞くシーン。

なんでって、

「したかったから」

以外には、

「させられた」

しかないように思う。

なんとなくやったってのもあるか?

とにかく日本社会は理由を聞く。

聞いてどうするのか?

「責任の所在は?」

「どうすれば避けられるのか?」

といった議論になる。

今後改善してよりよい社会にって建前なんだろうけど、結果、責任のなすりあいみたいな非常に息苦しい社会になっていないだろうか?

誰かのせい、何かのせいにすることで、責任逃れした人たちはいじめともとれる叩きあいに参加する。

行き過ぎて誰かのせいにしないと収まりが付かなくなると、えん罪で捕まる誰かを血祭りにあげる。

理由もなく、ただそうなったという事もあるだろうに。

チューンもやりすぎるとどこかに無理が来て車も壊れます。

この辺、もう少し緩やかになりませんかね。




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過去も未来もなく、今目の前にある事のみを考えるとすごく楽。

そんな哲学に達した今日この頃ですが、昨日男子バレーの試合を見てた時に、ふと、

”彼らも今、この時”

しか考えてないんだろうなって思いました。

宮本武蔵も、

「私はそれが仕事だから、試合の時は試合の事しか考えてない」

って言ってたそうだけど、それ以外の事を考えてたら仕事にならない。

問題は、周囲の雑音にも関わらず、自分の頭の中の独り言にもおとなしくして貰うという事。

昔の人は集中力なんて言ってたわけですけど、それを通り越した先には、何も考えないという極地があるように思います。

イメージで言えば、左脳ではなく右脳で作業するみたいな。

これは、故事に語り伝えられている木鶏の域ではないだろうか??

この域に達すると、水のように静かに佇み、生じた現象にのみ的確に対応することができるのではないか?

周囲から見れば言われたこともすぐに忘れ、聞いているようでも聞いてない、柳に風、糠に釘の朴念仁にしか見えないかもしれないけど、必要な事には十分な備えがあり、一旦事を起こせば十分な行動を起こす事ができる。

そして、事をなした後はまた静かに佇む

そこまでいければ強い!

どんな難局が生じても対応できる備えがあります。

是非ともこれを目指そう!

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ひすいこたろうさんのこの本。



先の事ばかり考えて、どうしても心配したり計画を立てたり。

それが死によっていきなり奪われることもありうる。

それに気づかなかった。

実感できなかった。

大抵の成功者が経験することに、破産か大病か身近な人の死といったものがあるそうですが、そうした経験を通して明日は無いかもしれないという実感が沸くのでいろんな可能性が見えたり行動が出てくるのかもしれませんね。

本来失うものは何もないのに、何かを守ろうとして息苦しくなります。

何か起きたらその時対処すればいい。

戦後の日本が凄かったわけだ。

で、僕も昨年そういう経験をしたわけなんですけど、なんだかお陰でどうでもよくなった。

そして、今できることはしておこうとか、できることに感動したり。

明日の事も心配しなくていいし、毎日が新鮮なんですね。

すばらしいなあ。

ああ、良かった。







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Windows11を導入してから、新規フォルダを作成やら名前の変更やらがめんどくさくなったと感じた方多いのではないでしょうか?

そりゃ、

「Ctrl + Shift + N」(新規フォルダを作成)とか、

F2キーを押す(名前の変更)とかできる人はいいけど、

これまで延々とWindowsを右クリックでを使ってきた僕らはひと手間増えただけでもう大変なんです。

つまり、これ↓

2


右クリック→

その他のオプションを確認

をクリックしないといつものメニューが出てこない。

なんでこういう設定になったのか?

まあ余計な作業が増えるとボケ防止にもなっていいのかもしれませんが、簡単に使い勝手の良くなるアプリは無いものか?

なんて、探していたらありました。

Winaero Tweaker

3


これ、色々便利です。

日本語化はこちらで。

ロシア製ですね。

さて右クリックメニューを戻すには、このアプリをインストールしてから、

クラシックフルコンテキストメニューを選択し、

クラシックフルコンテキストメニューを有効にするにチェックを入れて、

エクスプローラを再起動をクリックする。

1


これでお馴染みの右クリックメニューに戻ります。

5


他にもいろいろ設定できるので嬉しいです。

お試しください。

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