サイキ整備Service

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カテゴリ: 思うところ

昨年、事故で死を予感した経験以来、思う所は、

「死んだら終わり」

という事です。

そう、どんなに栄えても衰退しても、最後は、「死んだら終わり」なんですね。

だったら、生きてる間にやりたいことをやるべきではないかと思うようになりました。

社畜でいても自己実現は果たせない。

なんで利己的な経営者を富ませて、自分を殺さなければならないのか?

それが、自分の生きる意味か?

生まれてきた理由か?

もっとなにかにチャレンジして、自己実現すべきではないのか?

明日は死ぬかもしれないのに!

そういう実感がわいてくると、いままで上から目線でガンガン言われて必死で働いてきたのは何だったのか?

まあ、そういう心理に至るわけです。

となれば、自然と後の行動は変わるわけですね。

言いたいことは言い、したいことはして、思い残すこともなく満足して死を迎えられたら最高ですよね。




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女性は良くしゃべる。

うちの婆ちゃんも、お袋も、奥さんもみんな良く喋る。

だから、僕はそう思い込んでいた。

いや、寡黙な女性もいるというのに。

その固定観念が、リエゾンというドラマを見ていて壊れる時が来た。

それが第三話。

概要はHPにある通り、

「6歳の女の子・柿崎希(沢田優乃)。

希は誰彼構わず話しかけては、一方的に話し続けてしまう傾向があり、後日、志保は診断の結果、ASD・自閉スペクトラム症であることを伝え・・・」

男の子の所に突然現れ、自分の話を始める。

何の話か分からない男の子は、

「なんだ、お前、あっち行け!」

って塩対応なんだけど、女の子もなぜそう言われるのか分からず悲しむという・・・

だーーーっ!

テレビ見てて、どっかで見た事のある風景であった。

そうか、そうなんだ、病気だったんだ・・・

なんだか理解ができそうである。

僕も指をけがして左手の人差し指が曲がっちゃったから、障害のある身である。

弱者は弱者で、身を寄せ合って生きていこうと決めたのでありました。

相手により高いものを求めると、諍いのもとになります。

相手の弱さを認めると、優しくなれます。

そういう事でしょうね。







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いつも独り言を言ってる人がいる。

それがまだ話しかけてくるのがいる。

内容は、どうでもいい事なんだけど、自分で問いかけて自分で納得する癖があると、こっちは返事だけし続けることになる。

仕事中でも、話してばかりで手を動かさないのがいて、これがまた非常に気になる。

記憶主体で教えられてきた教育の弊害なのか、起きもしないことをひたすら考え続けるのは、左脳が主体になっているからだと思われます。

野球で言うなら、球が来たら打てばいいだけなのに、ピッチャーが球を投げる前にああだこうだ言ってると、体が動かなくなります。

考えなくても体が動くようになるほどになるのが練習の目的だと思うんですが、それを試合中まで引っ張るのはどうだろうか?

要は、メリハリが無いんですね。

準備の段階ではよく考えて計画したり練習するのはいい事なんだけど、実践では臨機応変に対応しないといけない。

そこで、右脳のひらめきが必要になるんですが、理屈でばかり考えていると視野が狭くなって、何をどうしたらいいか分からなくなります。

まずは口を閉めて、手を動かす。

周りの為にもお願いしますよ。




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量子力学で引き寄せの働きが証明されつつあるようですけど、やることないんならやってみて損はないと思った。

そもそも暇ならろくなことをしない。

仕事が切れたので、ひたすら仕事をしているところを思い描く。

そのうち「仕事したい仕事したい仕事したい仕事したい仕事したい・・」って念じ始める。

ってやってたら、実際電話が入った!

これはいいや。

下手に営業に行くと買いたたかれるから、お客様からご依頼いただけるのが最高にありがたい。

準備まではこちらでするけど、そこから先は神の領域。

あとは自分がやりたいかどうかであってその辺は引き寄せの念を送り続ける。

あと、要らん不安やなんかは速やかに忘れ去る。

というか、念じていたら自然に忘れます。

このパターンでやってみよう!




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昨年は怪我をして休職してたわけなんですけど、これで実感したのは、会社がいかに助けてくれていたかという事と、辞めた後の社会保障費と税金の過酷さ。

前年度の4-6月の収入に基づいて算出されるらしいんですけど、貯蓄や退職金が無い状態だと、失業保険で払っても生活費が残らない。

これを考えると復職した場合、恐ろしい未来が見えた。

どうせもうすぐ辞めざるを得なくなる歳だし、労災が出ている間は収入が無いのだから来年度は税金も少なくなります。

この機会を逃して復職すれば、「あの時辞めときゃ・・」ってなる事は目に見えている。

怪我をしてまともに活躍できなとなると、職場にもいずらい・・

となると、天からの声が「今でしょ」って聞こえてきた。

その先の事は分からないし、障害年金が出るほどの障害でもないので不安もあるけど、復職して無理をしたら治るものも治らないしで、天と心の声に従う事にしました。

年金までの間といっても生活できるほど出ないだろうし、どうなるかも分からないけど、目の前の破綻は免れたって感じです。

しかし、この制度の歪み、どうにかなりませんかね?



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理屈屋の人というのはしんどいと思う。

そこじゃないところをずっと考え続けている。

ぐるぐるぐるぐる回る。

結論が出てもああだこうだ考え続けるから、会話していてしんどい。

そういう人には、ひとりでやってて欲しいんだけど、延々と人に絡んでくるタイプは周りもしんどい。

視野を広く持ってほしい所だけど、煮詰まってるんですよね。

あっさり忘れて次に行けよって言っても、でもでもでもでも・・

そんなの関係ねー!

ってぶっ飛ばしましょう!

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知らないことや失敗したことを責められ続けて育つと、言い訳がましい人間が出来上がる。

僕がそうである。

何かにつけ、「俺のせいか?」って思ってしまう。

言い訳と嘘で自分が嫌になる。

素直に、「分かりません」「できませんでした」「失敗しました」って言えるようになりたい。

そうすると、そこでその話は終わる。

仕事もそこで終わるかもしれないけど、それでもあいつは信用できると思ってくれると思う。

できないことをできると言って請け負ったり、失敗を隠してもっと大きなトラブルを起こすようでは、とても危なくて仕事も任せられないとなる。

だから、できなくても、調べてやってみますぐらいは言いたい。

もう僕を責め立てる人間はいないのだから・・
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自然界には周期があって、上がったり下がったりというのが当たり前で、これは株や為替のチャート図とよく似てます。

天井知らずに上がるだとか、底なしに下がるんではないかとか考えて、まいががったり落ち込んだりするのは賢明なことではない。

それをどうかしようとしていろいろな学問とか精神論とかが出てくるんだろうけど、できるのはその波を観察することだけです。

それで確かに知識は増えたけど、どこかで必ずしわ寄せがくる。

しかし、得られた知識知恵を元にして波に乗ればどうか?

それに気づいた人は、逆張りに走ります。

株なら、下がった時に買う、上がった時に売る。

対処できない問題が起きたらひとまずそれは置いといて、今できる、調子のいい所に注力する。

この切り替えができる人が生き残っていけたりする。

自然に逆らって生きてくのは無理と言うものです。

勝ち馬に乗るなんて言葉もありますが、それは全然卑怯でもなんでもなくて、自然に逆らわない生き方なんですね。

僕らが大自然から貰っているミッションは、生き残る事と種の保存、あとは成長する事だと思うので、それ以外の事は考えずに自然体で生きられればいいんじゃないかと思うんですね。


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分かる方だけ読んでもらえばと思うのですが、

マルチレンジタイマー、パナソニックのPM4H-AならびにオムロンのH3CR-Aなんですが、要はスイッチを押したら電源が入って、設定時間が過ぎたのち切れるというのを作りたかったので調べました。

KIMG1494


サイトを見ても、これが分かりづらい。

色々やってやっと理解したのが、要するに、下記の図では、

タイトルなし


2と10に交流電源の両極が入った状態で、スイッチで2と6を一瞬短絡させると9と11が設定時間の間繋がるという機能。

ここで気を付けないといけないのが、あくまで9と11はつながるだけであるという事です。

電源はどこかからもらわないと負荷には電流は流れません。

なので、図では、2から11に結線されております。

2から出た電流が11に入って、内部で9に繋がり、9から出た電流が負荷を動かして電源に戻るという構図ですね。

説明書には、ぜひともそういう説明文を入れといて欲しい所です。

ここまで理解するのにかなりの時間を要しました。

しかし、自分の頭で考えると勉強になりますね。

ありがとうございます!








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先日テレビを見てたら、頭のいい人には時の汚い人が多いって言ってました。

「え?自分も字が汚いぞ」

って、少しうれしくなる。

こういうインスタントな発想が、脳が楽をしようとしている証拠であるのですね。

テレビの解説によると、頭のいい人は、頭の回転が速くて手が追い付かないのでそうなっていると思われるという事でした。

字が汚いから頭がいいというのではなくて、頭がいいから字が汚いという事に気づかなくて、字を汚くする努力をしようとするのがインスタントな発想であるわけで、これはけっこう頻繁に起こる脳のくせなんですね。

頭を良くするには、当然、勉強をしないと良くはならないわけで、あえてそういう遠回りをしないと良くはなりません。

ざっくり覚える程度にたくさんのインプットをして、思考部分はあけておくといいらしい。

あれこれ考えて思考部分が一杯になると頭はパニックになるので、集中して考えるときは考えるけど、関係のないことについてはなんにも考えないのがいいらしい。

動いているアプリを減らしてパソコンの負荷を減らすのと同じ原理ですね。

記憶部分はハードディスクにしまっておいて、必要な時だけ取り出します。

そういうわけで、字を汚くすると頭が良くなるというインスタントな直結思考は筋違いだという事ですね。


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「捨てる神あれば拾う神もあり」

という言葉がありますが、これを自然の波に当てはめると、いい時と悪い時があるという事になりますか。

要は不調の時にもふてくされずにいればいいという事だろうと思います。

やけになると自滅の道に爆走することになります。

そういう自分を制御するには、まずは今の自分に与えられている物、状況に注目する。

無いものに目を向けても不安になるだけなので。

まだいける、まだいけるってひたすら我慢するより、これだけ持ってる、ああありがたいなぁ・・

って思っていたら、そのうち自然の波も収まって、環境も変化してくるんではないかな。

捨てる神が去って、拾う神が通りかかってくるかもしれない。

待つことができなければ、乗るべき電車にも乗れなかったりするし。

待ってる間に勉強なり、行動はすべきだけど、焦ってボロを掴まないようにするのも大事なことですよね。

焦りを捨てるためにも、自分に感謝、今あるすべてに感謝というのは大切なことではないかと思うんです。

一番大事な命があって、それに加えて健康もあれば最高なんですから。

それと、もうひとつ。

「誰もそんなこと、気にしてないよ」

って事も事実として認識しておくといいですよね。






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「ただでなにかを得ようとすると大抵は何も得られない」

これ、実感します。

ただとか、コーヒー一杯で修理をさせようとするやつが結構います。

ややもすると、自分もそういうダークゾーンに陥りそうになります。

でも、これ、度が過ぎると誰も相手にしてくれなくなります。

特に仕事でやってる人に”友達だから”とかいう偽りの関係を盾にして何かをさせるというのはNG.

やられる方はたまったもんではありません。

最初の1〜2回は目をつぶるけど、その後は取り合わなくなります。

何事も度を超すと、友達もチャンスもいいお話も、全部無くなります。

その点、自然は公平ですね。

特にサービスとか修理とかいうのは、作業が終わってから「お金がないからまた今度ね」とか言ってお金を払わないのがいます。

まだ酷いのになると、今お金がないけどパソコンだけ先に納品していってくれっていうのもいました。

当然応じませんでしたけど。

そういう乞食みたいなことをするから周りに人がいなくなってお金が無いんじゃないんですかい?

と思うのであります。

お金を払う人じゃないと、人に仕事を依頼しちゃいけないんですね。

お金が無ければ知恵を出せ。

知恵が無ければ汗をかけ!

で、自分で何とかするように努力しましょう。

後で手痛いしっぺ返しが来ないように。

自分も気を付けたいです。



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奇跡とは=いい出来事で自分の常識とかけ離れたことが起きる事と定義できると思うのですが、

この、常識とはなんぞや?

となれば、単なる思い込みであることが多分にあります。

誰かに吹き込まれた、あるいは自分が習慣的に作り上げてきた思考の思い込み。

かたくなに、

「それが常識でしょ?」

って、頭の中に出来上がった固定観念。

これからかけ離れた、いい出来事が起きると人は奇跡と思う。

この辺からスタートすると、毎日奇跡の中で生きているという事に気が付きます。

例えば、重力。

私らは、当たり前に地面にへばりついているわけですが、これがなければ宇宙に飛んでいきますね。

逆に高い所から下を見ると、引力に引っ張られて落ちるんじゃないかと怖い思いをします。

引力が当たり前だと思っているから。

でもこれ、どうしてそうなっているのかが分からないだけに奇跡と言えないでしょうか?

宇宙飛行士が宇宙空間で浮いているときに宇宙船から切り離されたらどうなるか?

同じく宇宙に浮かぶ、地球という宇宙船が私らを引っ張ってくれていなかったら・・・

そう考えて、空を見上げて、引力があって良かった〜!

って思えるなら、感謝の気持ちに満たされます。

自分の細胞が生きるために毎日働いてきてくれたので今も生きていられる。

これもまた奇跡だと思うけど、当たり前だと思えばそれを認識できない。

既に奇跡的に自分の命があることを忘れて、

”奇跡的に”少しのお金が舞い込んでくることを祈って毎日を過ごすなんてなんだかおかしい感じもします。

今与えられている良いものを大切に、感謝していけば幸せになれるのに、”もっともっと”って欲を出すからいきなり不安になるんではないかと思うのですよね。















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人間の脳って、けっこう騙されるというか単純というか、すぐにテンパったりハイになってしまう。

それでちょっと儲けると気持ちが大きくなって散財したり、絶望したりする。

その行動を見た周りはよくわからないでほぼひとり相撲。

いきなり突撃したり引きこもったりしてるけど、その真意は周囲にはよく理解されないことも多々あります。

大抵は後付けで説明してるけど、その時脳内でどんな風に考え捉えられていたのかなんて誰にも分からない。

なにかとんでもない勘違いをしてひとりで悩んでたり行動してたりするかもしれない。

これを前提に考えると、誰かに何かを言われても批判されても、深刻に感じることもないんではないかと思います。

どうせ大した理由もないんだから。

ただ、不快な感情だけは解消した方がいい。

自分の頭も勘違いしてるかもしれないから不快な感情を持ち続けると、とんでもない鼓動に出る可能性があります。

脳の、単純な特性を利用すると、広い所に行くといいと思います。

視野が広くなると、いきなりさわやかになるので。

理由を延々を考えるのもNG。

視野が狭くなります。

広い所で、ほーーーっと何も考えずにいると、いいアイディアが浮かんだりします。

現代人は理由とか先の事を考えすぎだと思うんですよね。

小さいころから周囲の人間が、

「なんでそんなことをした?」

って、しきりと理由を聞いてきますもんね。

「そんなこと知るかよ、やりたいからやった」

でいいのにね。

「そんなことしたらこうなるだろうがよ」

って言うけど、その通りにはなかなかなりませんけどね。



.







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人間の脳って、けっこう騙されるというか単純というか、すぐにテンパったりハイになってしまう。

それでちょっと儲けると気持ちが大きくなって散財したり、絶望したりする。

その行動を見た周りはよくわからないでほぼひとり相撲。

いきなり突撃したり引きこもったりしてるけど、その真意は周囲にはよく理解されないことも多々あります。

大抵は後付けで説明してるけど、その時脳内でどんな風に考え捉えられていたのかなんて誰にも分からない。

なにかとんでもない勘違いをしてひとりで悩んでたり行動してたりするかもしれない。

これを前提に考えると、誰かに何かを言われても批判されても、深刻に感じることもないんではないかと思います。

どうせ大した理由もないんだから。

ただ、不快な感情だけは解消した方がいい。

自分の頭も勘違いしてるかもしれないから不快な感情を持ち続けると、とんでもない鼓動に出る可能性があります。

脳の、単純な特性を利用すると、広い所に行くといいと思います。

視野が広くなると、いきなりさわやかになるので。

理由を延々を考えるのもNG。

視野が狭くなります。

広い所で、ほーーーっと何も考えずにいると、いいアイディアが浮かんだりします。

現代人は理由とか先の事を考えすぎだと思うんですよね。




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テレビを見てたら、

「こうしたからこうなった」

っていうのを延々とやっているように思います。

「その原因は?」

ってセリフが多い。

その原因を知ってどうなるのか?

次は対策を立てて、問題を回避しようというのか?

予防線ばかり張っても同じようなことが起こり続けているのはなぜか?

ほら出てきた。

そう、人間は「なぜ?」を追求することに生きがいを感じる生き物なのであるんですね。

原因と結果をひたすら追い求めるうちに進歩してきたからかもしれませんね。

でも、それもあんまり多くなると嫌になりますね。

なぜおばちゃんは、ドラッグストアで爆買いするのか?

それを知ってどうなるのか?

原因が分かって止めたところでおばちゃんに叩かれるだけではないのか?

余計なことは詮索しないことですね。




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昨日、時代劇を見ていて突然思った。

この時代に自分のご先祖様たちはどうされていたんだろうと。

確実な事実として、自分の前に両親がいる。

そのまた両親がいて、遡るごとに倍々でご先祖が増えていく。

そうすると、今ここにいる自分の体、遺伝子は、恐ろしい確率で存在していることに気づく!

奇跡はまだあって、小さいころ、周囲の人の起点や保護での間一髪で助かったのや、自分の勘違いやうかつさで死にたいと思ったり死にかけたとか、ケガや病気もすり抜けて今ここまで生きている。

それが、ご先祖様ひとりひとりにも似たような奇跡があって、全部繋がっている。

氷河期も戦国時代や世界大戦も奇跡的に切り抜けたたくさんのラッキーなご先祖様たちの貢献で今私が生きている自分は恐るべき存在であります。

しかも、年老いて死ぬまでの限られた期間ではありますが、今この時間というのがどれだけ貴重であるか!

どうあっても大切に、心を込めて扱わなければと思いました。

一生懸命というのが、実は一所懸命であるというのがよくわかります。

懸命っていうと苦しむイメージがありますが、楽しんだ方がパフォーマンスも出るそうなので、大切に、味わって楽しみたいもんですね。

ありがたい事です。


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さんまさんの動画を見てて目が覚めました。

自分がいかにステレオタイプであったかという事を!!

いや、これに捕らえられている人は多いと思う。



努力とか根性=成功ではない。

”頑張ったから報われる”

というのは、戦時中の根性論と同じであることを!

それとこれとは違っていて、一生懸命やることとおいしい料理ができること、さらに相手がそれを食べたいかどうかという事は、全然別のものでありました。

考えてみたら当たり前だけど。

これをごっちゃにして期待しているからおかしいんだ。

無論ベストを尽くすことはいいことだけど、それは自己完結して喜ぶべきで、自分の期待する成功とは関係がない。

関係のないジャンルである頑張りを評価してくれないなんて怒るのも筋違い。

行動には結果も影響も付いては来ますが、頑張ろうが頑張るまいが、行動は行動であって、何をするかは人それぞれパフォーマンスもやり方も違うし。

例えば、

「一生懸命頑張ったのに聞いてくない」

って怒るより、どうしたら聞いてもらえるか工夫をするか、相手の立場になってやったのか、そもそも相手はそれを必要としているのか、なぜ話を聞いて欲しいのか、その目的は?

といった事の方が大事と言う事ですね。

あんまり意味もないのにただの独りよがりの承認欲求で怒っているだけで人生の貴重な時間を消耗していたり誰かに利用されてるかも知れません。

頑張りに価値があるのは頑張ること自体が目的である場合だけである。

その辺の違いを理解しないと、独り相撲で踊って怒って一生終わりって感じになりそうですね。










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「これだからこうで、こうなっててこうしたらこうなるらしい・・」

小さいころ、ひたすらうちの婆ちゃんが僕に諭していた。

僕の周りにはこのタイプが多いので、僕自身もそうかもしれない。

ある時気が付いた。

人に理屈を言ってるうちは、自分は動かないと。

更に言うなら、人に言ってやらせようとしている人もこの中には混ざっている。

人に適用しているうちは他人事なんである。

やる人は、人に言わずに自分の中で完結していて黙って実践している。

黙々と試行錯誤しているのです。

本当に納得してたら人に言いませんよね、

それに気づいたので、ある時から僕はあえて喋らなくなり、返事をしなくなった。

それでも口からポロって言うのはありますが、それはそれで流す。

次から言わなきゃいい事ですもんね。

そういうわけで、自分が他の人に理屈を語っているうちは理解していないかやりたくないか、いずれにしても本物ではないと自戒しているわけです。


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このところずっと考えていたのが、何が正しいかって事でして、得た結論が正解はないという事でした。

大体、正解があるという前提からしておかしいことで、自然界から与えられた命題は、おそらく生存と子孫を生み出すという事のみと思われます。

それも、そうなっているからそうなんだろうという程度で、もしかしたら我々は遺伝子の乗り物に過ぎないと言われればそんな気もします。

私らの思考は本能と呼ばれる生存と子孫を残すことから発していて、よりよく生きようとか言うのはそれが満たされた辺りから加わってくるもんじゃないかと思います。

まずは生存、それから・・・

って感じではないだろうか?

それを、学校でしつけられた答え合わせの練習で、物事には正解があると思い込んでしまった。

本来ないものをあると思い込んでいるから悩む。

例外と思えるような起きた事象を受け入れることができない。

自分が歳を取ることも、環境の変化が起きる事実も忘れて、ひたすら悩む。

そうしているうちに震災が起きてコロナが起きて社会は変わりおまけに僕は瀕死の重傷を負って、それまでの価値観が破壊されて新しい人生が始まる。

正解がないのに気づけば、なんか楽になりました。

「勤勉が正しい」

なんて思い込んでいると、ブラック企業でひたすら周り車を回す羽目に陥ります。

「いつかきっとわかってくれる」

なんて思っていると、DV夫に殺されるまで殴られる羽目に陥ります。

そこには正解はないんじゃないか?

って思いつけば、逃げ出すこともできるようになります。

正解があるとすれば、誰にも答えを決められない生き方、自分で回答を出す生き方、いつも「ああ、良かったな」って自己完結できる状態を続けられる事なんじゃないかと思います。

どの成功哲学でも、結果オーライでいつでも何にでも感謝!というのが勧められる所以でありましょう。








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