サイキ整備Service

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カテゴリ: 思い出

昔、職場の先輩に、

”ほやけんどおじさん”

と呼ばれていた男がいた。

必ず反論を繰り出すおじさんである。

その後、どこに行っても、このタイプの人間が僕の周りに出てくるので、僕が引き寄せて来たのかもしれない。

この種の人間は、仕事中もついて回って話しかけてくる。

こちらが説明をすると、

「なんでな」

とか、

「いいや、それはこうや」

とか言い出すので、それに対する説明を延々と続けることになり、仕事にならない。

それが最近気づいた。

「人の事はほっといて、自分の事をしいや!」

と僕が言わないから、他で嫌われたこれらの人種が僕に寄ってくるのである。

最初の、”ほやけんどおじさん”の更に先輩の技術者は大変だったそうだ。

教える端から、

「なんでな。こうじゃないないんな?」

って、いちいち反論してくるので、最後は教えるのを投げてしまったのだそうだ。

結果、おじさんは、

「俺は誰にも教えてもらってない」

なんて言っていたが。

素直に聞く事って大事なんだなってつくづく思った。

と同時に、”ほやけんど人間”をしっかり見極めてきっぱり拒絶することをやらないと、あほみたいな説明を延々と続けないといけなくなって発狂する事になる。

嫌われるのが嫌だって?

大丈夫。

人間は無数にいる。

人間関係もどんどん入れ替わって、そのうち居心地のいい人ばかりに囲まれることになるから。





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昔、お客さんと交渉する仕事をしてたことがあったんですが、お客さんの要望を上に上げるのに、

「できたらお願いします」

という表現を使ったことがあります。

で、ここで所長がひとこと。

「できたら」

という言い方だと、

「できません」

って言われるぞ。

それはそうだと納得しました。

自分だってそうする。

逆の立場でものを見ることができなかったんですね。

人に気を遣っても相手はそこまで考えてはおりません。

逆に、「絶対やってください」ぐらいでちょうどよくなるんじゃないかな?

どうでもいいことまで強気で言ってると、嫌われますがね。

メリハリの欲しいところですが、要望はあやふやであると問題だというお話ですね。

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前から思っていたことなんだけど、人間ってキャパシティが少なくて決まっているから、何かを手放さないと何かを得られない。

それを、あれもこれもと考えてるから何も得られなかったりします。

マキシマリズムに陥りやすいのはそのせいだと思います。

ひとつこなして次のことに着手すべきなのに、並行作業をやってしまう。

この欲深さが悩みの原因なのではないだろうか?

もう十分持っているのにもっともっとというのは傍から見てればどうかと思いますが、無意識下でやっちゃうんですね。

太古に植えていた我が先祖の遺伝子に組み込まれた危機意識がそうさせるのでしょうか?

これは人脈も同じで、これまでの人脈を捨てないと新しい人脈が出てこないこともあります。

友達の友達がみんな友達かと思っていたら、友達と友達は反りが悪かったりします。

そう考えると、物事がうまくいかないなと思って時にはちょっと何かを手放してみるのもいいことかもしれませんね。

人脈も、自分の器も広がるかもしれません。

きっと、人生の転機ってやつも、そうやって訪れるのでしょうね。

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うちの婆ちゃんの4大話。

1.死んだおじいさんの話

2.あんたのお母ちゃんは偉かった話

3.神様とご先祖の話

4.自分はやり遂げた自慢(?)話

幼い私に、これをエンドレスで語りかけてくるわけです。

学校から帰ったら「必ずお婆ちゃんに報告しなさいよ」と言い聞かせられてて、そのまま一緒にテレビを見る。

高校ぐらいになると、「肩もみしてや」で、肩、首、背中押し、足もみをする。

多分させられてたというのが本当なんだろうけど、自分から、「さて、今日もやるか」って感じでライフワークになっていた。

勉強してても漫画を読んでいても、呼び出しがかかる。

学校ではみんなの前で先生から「お母さんがお前は勉強せんって悩んでおられたぞ」なんて言われて激怒したことがあったけど、朝は新聞配達をしていたし、時間がないからこれは当たり前でありました。

でもその頃は気づかないんですよね。

子供だから。

で、お爺さんの話。

お爺さんは30代で亡くなっている。

母が高校生の時らしい。

大工さんだったのだが、その後緑内障で失明しあんまさんをしていたらしい。

エンドレスで刷り込まれた記憶からすると、自分の境遇をくよくよ考えてそのうち胃潰瘍となり、胃癌の可能性があると医者に言われて最期には衰弱して亡くなった模様。

実は胃癌ではなかったんじゃないかって、前田医院さんを恨んでおりましたが、戦後のことだし、僕も小さい頃はかかっていたのでほんとに憎んでいたのかは疑問である。

で、ここからが本題。

「あたしが大丈夫だからって言うのに、お爺さんがくよくよするろう。それで引き寄せたんよ」

昔はそんなもんなんだと思っていたけど、今は微妙に違うと思う。

せっかく忘れかけてた本人にエンドレスでその話題を出し、「大丈夫だから心配しなや」と言い続けたのは婆さんではないかと。

そして、耐えかねたお爺さんは心を病み、衰弱して遂にはなくなったんではないかと。

これは老若男女関係なく、ひたすら頭に思い浮かぶことを語り続ける人間というのは、周りの人間を不幸にする。

自分は気にもしていないし、言い放って終わりなんであるけど、周りにはかなり破壊的な影響があるのである。

それが、せっかく忘れかけてた問題であったりすると、とてつもなく大きな問題となる。

こういう人がいたら、早めに「黙れ!」と一括することである。

できたら近づかないことである。

それが本人のためでもあり自分の身のためである。

これは皆さん、どう思われます?



















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以前書いていたブログを見たら、こ難しいことを考えていたらしい。

以下引用。


僕にも若いころには理想があって、正々堂々とか正義とかが生存より優先みたいなことを考えていたのですが、それだと妙にうまくいかない事に気づき始めました。

正義を貫いても、それほど人は喜んではくれません。

喜んでくれても一過性のものであまり意味もない。

何かあれば手の平を返すのが人間というものです。

なにかがおかしい。

そう考えて、孫子の本などを読んでみると生物の存在目的は”生存”しかないと思えるようになりました。

自然の成り立ちが生存と繁栄なんだから当たり前なんでしょうけど、アドバイザーやら哲学者やら自分の利益のために意見を言う人の情報が多すぎて目的が非常に分かりづらい。

学校でもそういうことは教えないし教えられないんだろうと思います。

誰かのためにとか社会のためにとか言えるのは、生存できて初めて考えられることでしょう?

正義とか法律というのも人間が生きていくための秩序ができてからでないと言えないことだし。

正義や法律、兵器だって、誰かの生存のために作られたと言えるんじゃないでしょうか。

秩序ある社会=生存しやすい環境ですからね。

目的が生存で、手段が正義というわけですね。

これが逆転すると、妙なことになる。

誰かが生き残るために人に押し付ける建前なんて信じちゃダメです。

そうしないと、誰かが作った正義のために死ななきゃならなくなったりしかねない。

誰かの理想に振り回されると、生きる目的がわからないなんてことにもなるんではないかな。

いや、実際なってる人も多いと思う。

生存が目的なのに生きる目的がわからないなんて、自然に反してないか?

いや、絶対おかしいですよ。

憎い敵と和解しようが姑息な手段を使おうが逃げ出そうが、臨機応変に環境に適合して生き残ることが自然界の目的なんだからそれでいいんじゃないんだろうかと思うんです。

他は全部手段でしかないんだから・・・


理屈っぽいですね。

あの頃の気持ちは忘れたけど、今は人のことはどうでもいいと思うようになっている。

少しは進歩したような気がする。

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前に徳島空港で撮影したのが出てきたので。



こういうのを見るのもたまにはいいですね。
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トラックのインナーハンドルが折れてました。

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使用頻度が多いせいか、これはたまに壊れる。

いや、けっこう遭遇する。

これで思い出したけど、コイツの呼び名は”インナーハンドル”でいいのか?

人によると”キャッチ”という人もいる。

前に117クーペのキャッチを頼んだらインナーハンドルが来た。

僕はキャッチと言うとドアのガチャッって噛み付く部品を思い浮かべてたんだけど。

ちなみに噛みつかれる相手はストライカと言ってる。

他の人のブログを見ても、やはりそうだよな・・・

やはりインナーハンドルでいいのか・・



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たまに高知駅に行きます。

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別に用事があるわけじゃない。

前はブックオフに寄ってたけど、それはもうなくて代わりにできた王将に寄ります。

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声がは大きいけど、元気なおじさんがいるからなんとなく引き寄せられるので。

ここに行くと、調子に乗って食べるので体重が増える傾向がありますが。

そこで思い出す。

改装前、昔の高知駅には2階にレストランがあって、これがまた最悪でした。

高校生の頃に行ったので40年前ぐらいか・・

入り口にチケットがあって、これを買うと、ウエィトレスさんが来てチケットを持っていく。

半券を置いていけばいいのに全部持って行くので、料理が来なければなんの証拠も残らない。

もしかしたら半券にならないチケットだったのかもしれません。

頼んだのが来てないってキレてたお客さんを見たことがあります。

僕も違ったのが来たけど、まだ子供だったのでおとなしくしてました。

あれ、改善されることなく閉店したんじゃないかな?

よく分かりませんけど。

昔のお店も役所も、売ってやろうとか手続きしてやろうみたいな態度が普通でした。

下手すると、「また客か」みたいなやつもおりましたね。

お客様目線で商売するなんて頭はなかったんじゃないかと思います。

そういうのが淘汰されて今の日本です。

今じゃお客の方が威張ってたりする。

今度はどこが淘汰されるのか・・

人間とは難しいもんですね。












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僕は20歳の頃に普通免許を取りました。

教習所は大分の亀の井自動車学校。

当時は白バイ上がりの教官がいて、メチャ怖かった。

仮免前の教習で、コースを乗ってたら友達が手を降ってて手を振替したらポールにぶつかって無線でメチャクチャ怒られた(当たり前?)。

路上に出る前の試験ではパニクってS字で脱輪。

怖い教官に檄を飛ばされました。

今はどうか知らんけど、当時は後ろの座席に次の順番のおばちゃんがが乗ってて、後ろから

「あそこまでいってて、あんたバカよ」

って声が飛んでくる。

でもなぜか終了写真ではおばちゃんも一緒に写ってたりする。

チキン野郎の若い自分にはかなりのストレスでありました。

あれからもう37年も過ぎました。

数年前に大型取りに行ったけど、ちょっと厳しいけど教官の態度も基本”お客様”扱いしてくれるので時代を感じました。

少子化で免許取得する人が減ってるからですかね?

ここでも市場原理が働いておりました。







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ブレーキとスピードメーターのテストで毎度毎度いすゞの4T(AT)の車検で困ってます。

わたくし、1年も記憶が持ちませんもので・・

で、もはやうろ覚えでではありますが覚書です。

ブレーキのテスターに乗る時にはASR(アンチスピンレギュレーター)をオフ。

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これがオンだとブレーキが引きずります。

スピードメーターのテスターでは、加えてHSAもオフ。

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オンだとアクセルふかしても回転が上がらなかった。

更に、予備検ではうまくいったのに本検では30キロまでしか上がらなかったので、シフトをM+にしてやっと通りました。

どうなってるのかさっぱりですが、毎年これをやってます。

次回まで覚えてるかな・・?




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昔、僕が若い頃、ノモンハンで戦った経験のあるお爺さんにお話を聞いたことがありました。

「戦場は怖くなかったですか?」

って聞いたら、

「撃たなきゃ撃たれるから必死だった」

との回答。

敵に当たったら、やったーって思ったくらいだそうでした。

別のときには、太平洋戦争で特攻隊で出撃して、途中の島に隠れて助かったというお爺さんにも会いました。

僕はそれはそれで賢明だろうと思っていたのが、ノモンハンのお爺さんに言うと、

「みんなが戦っている時にそれはダメだ」

との回答。

確かにそれもそうだけど、どっちも意見があるんだなあ

と思いました。

また別のときには、戦時中に大陸で新兵の頃、捕虜を刺殺して訓練を受けたというお爺さんにもお話を聞くことがありました。

上官に逆らうと殺されるからという理由を述べてましたが、そういう時代だったんですね。

三人とも生存をかけて行動したわけですが、ひとりは戦い、ひとりは隠れ、またひとりは人を殺める。

根にある動機は生存であります。

良いも悪いもないというか、当時は国家として敵を殺すことが善であり勇気のあることだった訳ですから、なんとも複雑です。

時代で価値観も正義感もなんもかんも違ってくるわけですから、これからの時代も会社で勤勉に働くとか、おとなしく国に税を収めるとか、そういうのがいいことだっていうのも過去の話になるのでしょうね。

既にブラック企業で必死に働くのは死を意味しますしね。

時代の変化で、自分の価値観も柔軟に変化させていかなきゃならないって思いました。


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昔、先輩に誘われて野球部に入ったことがあります。

やる気満々で次の日に丸刈りにした。

学校に行ったらみんなびっくり。

触ると気持ちいので友達が触りに来ます。

自分でも触ると気持ちよかった。

で、練習に行くと、これがきつい。

放課後7時回って帰るとかなりきつい。

夕方やってたルパン三世が見られない。

これもきつい。

で、一日で行くのやめたらあだ名が

「いちにち」

である。

失礼な話だ。

まだ入部届も出してなかったのに。

高校では空手部は一ヶ月持ったぞ。

道着もしっかり買ったし。

今度はあだ名はつきませんでしたが。

なんか、自分でも続かんやつだな〜

って思います(T_T)

続けてたら人生変わってましたね。

確実に。






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もう20年以上前の話。

朗読で、

”げっ歯類”



「げっぱるい」

と読んだ知人がいた。

横で聞いていた人たちは真っ赤になってこらえていたのだが、二度目にげっ歯類が登場した時には僕は耐えきれずに吹き出してしまった。

知人は何事が起きたのか分からずそのまま読み飛ばしていったのだが、更に追い打ちをかけたのが、たまたまそこにいた出っ歯のお仲間。

やはり真っ赤になって俯いていた。

こちらの表情は怒りであったのか恥ずかしさであったのか分からないけど、かなり硬直していた。

過酷な現場であった。

朗読していた彼はもう亡くなってしまったが、今はもう懐かしい話ですけどね。

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僕が子供時代を過ごした高知県は須崎市。

今はもう人もまばら、空き家とシャッター通りのオンパレードです。

前に撮った須崎小学校の写真が出てきました。

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今は保育園と合併してるのかな?

民主党政権のときには事業仕分けのあおりか、商工会議所の雇用促進センターも閉鎖した模様です。

失業対策本部もシルバー人材センターと名を変え今はどうなっているのやら・・(まだありました

少子高齢化で先進国のトップを走るらしい日本のそのまたトップを走る地方、全速力でゴーストタウンに向かう現状であるのかもしれませんね。

静かで心和む風景ではありますけどね・・




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ビルゲイツ夫妻も離婚を決めた事だし、PCの話をしようか(ちょっとかっこつけ)。

僕がPCを始めたのはWindows95が出始めた頃で、それまでのPCにはまるで興味がなかった。

学生時代の1985年頃には友達がNECのPCを買って、ラムちゃんの絵を描いていたというか、座標を打ち込んで結果絵が出たみたいな事をやっていたけれど、その頃にはなんでこんな暇なことを・・・なんて、全然興味がわかなかった。

それが、マスコミの影響で突然興味が出たのが1995年。

廉価な富士通のFMV590C3がダイエーで山積みされていたので無理して買った(それでも10万円)。

これがメチャ遅い!

ロータス123やら一太郎やらが入っていたんだけど、これを使おうとするとスワップ&フリーズしまくりである。

なんとかできないかと書籍を買って色々調べて不要ファイルを削除したら起動不可。

繋がりにくい富士通のサポートに電話し続けて得た答えは、再インストール。

何枚もあるフロッピーで何時間もかけて再インストールである。

このパターンはウィンドウズMeに至るまで延々と受け継がれた習慣である。

こんなの仕事で使えるんか?

なんて思いながらも楽しかった。

当時のPCのパーツは無茶苦茶高く、例えばメモリーが16Mで数万円した。

ベスト電器がパソコン館なんてのをやっていて、買えはしないけれど、延岡まで眺めに行くのがこれまたとても楽しかった。

ソフトも効果不明の微妙なものが多くて、入れてみたいとの衝動からかなりのお金をつぎ込んだ。

QEMMやらマグナラムやらネット黎明期にはデータを先読みして速くするなんて謳い文句のネットジェットなんてのもあったな・・・

でもあの怪しい雰囲気は、

「これさえ入れれば新しい機能が付加されてパフォーマンスが上がる!」

という期待とともに僕を虜にしたのでした。

あのなにか冒険にも似たワクワク感、今一度味わいたいものです。












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小学生の頃、音楽の先生がメチャクチャ厳しくて、みんなで演奏しているときに縦笛担当だったんだけど、練習の時に一瞬楽譜から目をそらして下向いたらいきなり怒られた。

子供だったから、みんなの前で辱めを受けた感じになって結構辛かった。

実はその日の朝礼では、クラスみんなで名札を忘れなかったパーフェクト賞を競っていたのが、僕が教室に名札を忘れたせいで隣の組に負けた。

そういう不運なポカが続いたせいで、

「あいつ、死ぬんじゃないか」

なんて囁かれた時期があった。

結構辛かったけど、なんとか57歳のおいさんになるまで大きな病気もせずに生きている。

それとこれとは別っていうのが分かるようになったのはかなり最近のことではあるけど、味噌糞っしょで一つダメなら全部ダメっていうのは間違っとるね。

失敗は成功のもと、成功者には過去の大きな失敗が肥やしになっているというのも今では自分の常識になっている。

当時の失敗がどんな益をもたらしたかは覚えてはいないけれども。

そういうわけで、必要なのはリセット力。

懲りない精神を失わなければ何度でもチャレンジできるわけであります。

今後とも宜しくですと自分に言いたいのである。




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昔、行きつけの喫茶店で、マスターの奥さんの似顔絵を描いてくれないかっていわれて挑戦したことがある。

結論から言えば、描けなかった。

なぜかといえば、そのまま描くと恐ろしいことになったからだ。

きれいでなくても魅力的に描ければいいんだけど、似せて描くとどうしても・・・(これ以上は言えない!)

何枚か描きかけて、奥さんも悟ったのか、

「もういいですよ」

になった。

あとは(僕のせいでもないと思うけど)平謝り。

無謀な挑戦をした自分に、しばらく落ち込んだ。

あれ以降、似顔絵は描いていない。

大きなトラウマである。




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時間ができたので家を片付けていたら、大学(日本文理大学)時代の先生の似顔絵が出てきた。

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授業中にこんなのばかり描かずにもっと勉強に打ち込んでたらもっと飛躍できたハズなんだけど、人生は取り戻せない。

そこは前向きに考えて、ここから頑張ろうと思う。

先生方、まだご存命だろうか・・
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後で冷静になると、バカバカしい話がたくさんある。

プライドが傷つけられたとか、冷たいとか、自己顕示欲と承認欲求が交錯する。

仕事がやりにくいとか給料が安いとかいうのは二の次だったりする。

でも、そこは譲れないというポイントが存在していて、そこを責められると、なんだかんだ理由をつけて逃げ出そうとする。

頭に血が上った段階で、本人も気付かない。

冷静になったときには終っている。

というか、脱出したから冷静になるのだが。

だから、第三者的の視点で自分を見られるのがお得な態度だろうと思います。

・・が、それができないのが人間なんですね。
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子供の頃から居場所がなかった。

いや家庭はあったんだけど、なんだか居づらくて居場所を感じられなかった。

以来、環境が学校、職場と変遷してもやはり居場所を感じられず、居づらい。

リストラにあったときには、

「あなたには会社に席はない」

などと上司がのたまう始末。

「そらみたことか、やはり僕には最初から居場所がないんだ」

と、すぐに応じた。

その後、他の職場で頑張って、なんとか居場所を作ろうと営業、実務に頑張った。

それなりに成果が出て、業務の大半を自分で把握するようになった。

そうすると創業者と2代目が出てきてイニシアチブを握ろうとする。

また居づらくなる。

どうしてなのかがさっぱりわからない。

それが、最近、加藤諦三さんの本を読んで思った。

幼いときに家庭で甘えられなかったのだと。

僕の脳の回路には、誰かに甘えるという事に罪悪感が刷り込まれている。

祖母は言動とも荒い人で、情緒が不安定であった。

物心ついたときからそばにいた祖母は、甘やかすかと思えばいきなり頼ってくる。

高校の頃には、毎日肩もみ背中押し、足もみを要求してきた。

断ると、しょげて僕が悪いみたいに言う。

母もそれに加担した。

なにかの職業に就きたいと言うと、必ず反対する。

毎日呼び出される方も見の折には、亡くなったお爺さんの話と神様の話、なけなしの自慢話がエンドレスで繰り返される。

その時の感情で話し、指導してくるのが支離滅裂で、何が何やら分からなくなるのである。

僕の育った家庭は、そういう環境であった。

しかし祖母が留守番をしていてくれたお陰で両親は働きに出る事ができたので、すえたご飯をお湯で洗って食べたりはしていたが、飢えることもなく生きてこられたのは感謝すべき事だった。

それがゆえに、精神性が置き去りにされたのだと思う。

僕は、高校卒業の頃には勉強もできず、何をしていいかも分からず母が見つけてくれた推薦入学で入れる大学に言われるままに進学した。

以降、人の機嫌を伺い、自分では何も決めることもできず、誰かの指導を仰ぎ続け、翻弄された人生であった。

それに気づいたのがつい最近である。

自分で決めて自分の裁量で生きていきたい。

そう決意したのが加藤諦三さんの書籍に触れた瞬間だった。

自分を持たなければ死ぬときには後悔する。

自分の居場所は自分で用意する。

それが実現するまで、諦めない。

これからはそうして生きていきたい。

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