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タグ:人生

人生はなるようになるって聞いたことあるけど、今現在の環境も、過去のいろんな要素が重なってこうなっているのであるから、その要素ならほかの選択肢は無かったという事なのであって、他の結論はあり得ない。

今後を変えたいのであれば、今現在の要素を変えればいいのであって、その要素は何かといえば、取り入れる情報と人間関係をも含めた環境、習慣だと思います。

これを望む方向に意識して変えれば今後の行動も変わり、人生も変る。

いやむしろ、変わらないのがおかしい。

変えたら何かを失うかもしれないけど、ほかの何かを得る事ができます。

要は思い切って、あるいは何にも考えずに変えられるのかというところが起点でありますね。
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何が不安かって、自分のコントロール下にないと思えることがあるほど不安なことはない。

例えば死後の世界。

死んだらどうなるんだろうって考えだすと、死んだ後の事に付随して、いつ死ぬかもどう死ぬかも分からないからとても怖い。

どのみち僕らは自分の左脳で認識している事しか現実として認識できていないんだし、量子論でも学んでこの人生は仮想現実なんだとか思う事でもしないと解消できない。

更にお金もコントロール下にないとなると不安が起きてきます。

結婚して家計を奥さんに預けると、どんなに給料が上がっても自分のコントロール下にないものは見えないから不安の元になる。

ここで奥さんに「足りない」とか「ない」とか言われると、何に使っているのか見えていないからとても不安になります。

自分でやりくりしてて無いのであれば対処のしようもありますが、これは妙に腹も立つ。

あと、しょっちゅう上がる税金の話。

どこまで可処分所得が減るのか、生活できるのかとても不安になりますね。

これも自分のコントロール下にないから不安の原因になるのですね。

宗教家庭で生まれた人や、病院での診断や治療に関する事やら就職活動やらなんやらで、他人にコントロールされがちなことはかなり多い。

人生の目的が幸せになる事であるなら、気付かずに他者に牛耳られている事ひとつひとつを他者のコントロールから自分の制御下に取り戻す事ではないかと思います。

人生とはそういうゲーム。

暴力や権威で抑圧されることもありますが、大抵は言葉で押さえつけられる。

そこに気が付けば、対処の仕方も出てきそうです。

そして、最後に自分の左脳が多くの事柄を自分のコントロール下に収めたと認識できたときにひとつのゴールに到達したといえるのではないか。

そう考えると、人生もまた楽しいんではないではないかと思います。












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「人生は先払い」

って聞いたことがありますが、何事かを行えば時間をおいて結果が帰ってくるという厳然たる法則の事だと思います。

しかし結果が出るまでにはタイムラグがあって、結果が帰ってきた時には原因となっている自分が行った事柄や考えたことはすっかり忘れている。

そして、ラッキーって思ったり、なんでこんなことが起きるんだろうって悩む。

はたからみてたひとにはそれが分かっていて、

「それ、あんたが注文してたよ」

なんて思われてたりします。

そう考えると、自分が今何を望みどう行動するかといったことは大変重要なんですね。

絶えず人格を磨き、倹約し、良く働き、礼儀正しく品行方正であろうとすれば、そのうち結果も見えてくるんでしょうけど、そのころにはすっかり忘れている。

なんだか面白くて楽しいのが人生だなって思えるようになってきました。

そういう事で、僕も目についたら可能な限りごみを拾うようにもなりました。

こういうのが分かるようになるのが円熟っていうものなのかもしれませんね。

まだまだ修行が足りませなんだわ。

ほッほッほッ・・・








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昨年、事故で死を予感した経験以来、思う所は、

「死んだら終わり」

という事です。

そう、どんなに栄えても衰退しても、最後は、「死んだら終わり」なんですね。

だったら、生きてる間にやりたいことをやるべきではないかと思うようになりました。

社畜でいても自己実現は果たせない。

なんで利己的な経営者を富ませて、自分を殺さなければならないのか?

それが、自分の生きる意味か?

生まれてきた理由か?

もっとなにかにチャレンジして、自己実現すべきではないのか?

明日は死ぬかもしれないのに!

そういう実感がわいてくると、いままで上から目線でガンガン言われて必死で働いてきたのは何だったのか?

まあ、そういう心理に至るわけです。

となれば、自然と後の行動は変わるわけですね。

言いたいことは言い、したいことはして、思い残すこともなく満足して死を迎えられたら最高ですよね。




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さとうみつろうさんの本。

読みました。

そして、ここ!

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これの意味はつまりこういうことだと思います。

成功も好きな異性も無理やり手に入れようとすると逃げていく。

ので、あえて冷たくする。

だって、追われる側だったら怖い!

税金も無理やり取られるんだったら嫌でしょう?

逆に、やや冷たくされると追いかけてでも払いたくなる。

「ほんとにいいの?」

って、気の毒にさえなります。

サラリーマン時代、一生懸命仕事をして会社を盛り立てようと思ってた時は、社長が留守で放置してくれていた時でした。

それが、管理しようとされだしたとたんにやる気がなくなってしまった。

ホーレンソーがなってないとか言い出したら、思うように仕事ができなくなって終わってしまった。

僕の場合ですが。

お金も仕事も恐らく追いかけられると逃げると思う。

テイカーから人は被害を受け、破滅するか、さもなくば逃げていく。

かといって、要らないとか言ってると、「あ、そう、要らないんだ」って去っていく。

人に対してもお金に対しても、やはり中庸がいい。

追わないけど、来たら大喜びで大歓迎するみたいなのが最高の対応ではないかと思うのです。

事の成り立ちって結構単純なんじゃないかな?





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西暦2000年を迎える直前、かなりの熱量で終末論が盛り上がっていた。

今にして思えば、あれは何だったんだろうと思うんですが、お祭りが好なんでしょうね。

いや、今のシステムをぶっ壊してリビルトしたいという本能のようなものか?

何れにしても、今のニュースが色々煽るのを見てると、社会の大半はなんのこともなく過ぎ去っていくんではないかと思います。

個々の人にしてみれば、寿命が来たら死ぬんだし、病気になったらお医者さんに脅されるのには変わらない。

なってみたら大変だけど、過大に恐れて変なことをしなければ、人間にはそれなりに順応する力もあるのですね。

要は、心を沈めて平常心を取り戻して、ちょっと高いところから物事を眺めてみることですかね?


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先日車で走っていた時に、新しくできたそばやさんがあって、隣りにいた奥さんに言ったら

「この前通った時に言ったじゃない」

どうもその時は僕は反応しなかったらしい。

・・・という経過で気がついたんですが、人によって見る光景が違っているということ。

同じものを見てても人それぞれ見える景色が違っている。

可視領域の違う昆虫と人間も見える景色が違っている。

当然、聞こえ方も感じ方も違っている。

経営者にとっては数百万とか数千万円は事業資金としては当たり前だけど、サラリーマンにとっては大金であったりする。

一万円札は印刷する側からすれば紙切れだけど、発行されて使用される段階になると価値ある紙幣となる。

当たり前といえば当たり前だけど、これを前提に考えると、こっちの言う事を相手にわからせるというのは大変な事で、多分無理であるという事になります。

価値観以前に、見えているものが違うから。

今話題の量子論でいえば、測定しなければ確定しないというのが意識にもあるのではないだろうか。

いや、確かにある。

欲しければいずれ手に入るとかいうのは迷信じゃなくて、それに意識を集中するから現実化するということではないのか?

途中で手に入らないんじゃないかとか思い出すと、そこまで来ている現実化を自ら放棄してしまうのではないか?

そう考えると、人生は仮想現実的だというのも分かったような気もします。

それと、自分の欲しい物、気持ちよく感じるものは自分の潜在意識がなにかのメリットを感じているものだと思います。

仕組みはわからないけど、自分にできることは欲しい物には意識を集中して、それを手に入れたと感じて幸せを感じることじゃないかな。

あと、それを誰彼なく言わないこと。

感じ方の違う人が自分と違う事を言って、楽しみが薄くなるから。

3Dゴーグルを付けてニヤニヤしてる感じで人生を楽しみましょう。












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養老先生もホリエモンも言ってましたけど、僕も

「人生は死ぬまでの暇つぶし」

だと思います。

こういうスタンスを持てば、欲が出なくていい。

成長はしたい。

でも、もっともっとってやっても最後は死ぬんですからチャラです。

苦労して何をやったか分からない人生であったなんて、ちょっと寂しい。

ましてや現在の日本は働くほど貧しくなる妙なシステムになってます。

つまり、国家が推進しているのが、ガムシャラをやめてもっとゆるりと生きないと懲罰として課金しますよって言ってる感じでしょうか。

「物欲も捨てて労働もそこそこで、今ある自分を大切に、やりたいことをやる方法を考えよ」

という事しか自分のミッションは無いように感じます。

太古の昔からそうだったんでしょうけど、その日暮らしで仲間と身を寄せ合って生きていく事以外に幸福の道はないのじゃないでしょうか。

それが、歪んだ資本主義で物質主義的な安心を求めるのが行き過ぎて何が幸福なんだか分からなくなった。

そこで原点回帰したのが、”人生は暇つぶし”的な考え方なんだと思います。

それが本質なら、僕もそこに帰りたいと思っています。

好きな仕事ができて、そこそこ生きていけたらありがたいことです。






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人生うまくいかないと思うなら自分の行動と思考を見直すべし。

自己啓発本を読み漁ったところ、こういう結論に至りました。

自分ではカツ丼を頼んだつもりなのに、口ではお蕎麦を注文していた・・・

これが人生の真実なんではないかと思います。

それを理解するために、自画撮りが効果的。

特に動画で自分を監視してると、無意識にどういうことをしているかと言うのがわかります。

ユーチューバーが自分に自身を持っている理由がわかりますね。

自分の姿、語り方を絶えず自分で見て、修正することができる。

人の批判ではなく、自分自身で修正できるから、これは強いです。

やってみようとすると、結構これが恥ずかしい。

ということは、潜在意識が自己修正を望んでいないということなのかもしれません。

それは、現状を作り出した犯人が潜在意識である証拠なのかもしれませんね。

でも人生を変えるなら、メタ認知で自分を見る事は大事なことだと思います。

今から人生を変えるぞー!



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第1章 逆境の向こうにナイスな季節がやってくる

ページ稼ぎのような気がしないでもないけど、本全体にわたって格言めいた励ましの言葉が散りばめられているのですが、

その中でも、僕は以下言葉が気に入りました。

「人生でめげない人は、現実を都合のいいように、考える知恵を持っているから、

誰も変えられない現実の逆境にあってもチャンスと受け止めて、

めげることはありません」

お父さんが傘張り職人だった村西氏の貧しい子供の頃の家庭環境、お母さんの苦労とバイタリティを感じられる章です。

「あきらめを知らない努力は必ず報われる。

この言葉も好きです。

第2章 海が割れるってことがあるんだよ

百科事典のセールスで日本一になったときに身に着けた”応酬話法”。

「世の中とは学歴とか閨閥じゃなく実力でやっていけるんだ」

「人が1やるところを3,3やるところを10やればいい」

3つのセールスの要諦

1.相手の頭の中に、この商品が自分には必要だとの需要をいかに創造するか。
2.人を動かすのはテクニックではなく情熱
3.断り文句に怯えず、完璧なクロージングw駆使する。

理屈を言うのではなく、具体的に自分の体験(ほとんどが失敗体験)を素直に話す。

聞き上手になること。

仕事をゲームや趣味感覚で楽しむことができたらこっちのもの。

転職という職業は存在しない。

「もがいていたらなっていた」

だそうです。

第3章 死のうと思ったことは1000回くらいあります

逮捕や銃で撃たれかけたという時期の事が書かれている章です。

「偉大な成功を成し遂げたといってその志の賜物と高ぶらない方がいい。

失敗もまたその志の低きゆえと落ち込む必要はない。

大部分は偶然の結果に過ぎない」

「大儲けをしてみればいい。尊敬など決してされないから」

事業の成功と、タレントさんへの大盤振る舞いの時期の章です。

「ブチ切れたとて傷つくのは誰でもない、本人自身だ。やぶれかぶれは自分の乗っている船の栓を抜くようなもの。

船には家族も従業員も乗っている」

衛星放送事業に手を出して失敗で学んだこと。

「博打はダメですね。一か八かをやってはダメだってことです。

本業は本業としてきちんとやった上で、別の試みを2割とか3割くらいの力でやらないといけないということ」

「そして、ひとりで何でもやっていると、会社がおかしくなったときに持ち逃げや使い込みといった、

わけの分からないことが起きてくる。

誰かが間違っていると言える自由な空気がなければいけない」

だそうです。

1992年11月に50億の借金を残しての倒産。

50億のうち20億はやばいところから借りてたらしく、なりふり構わず(AV製作で)返済した状況に触れられています。

「どん底でもまだすべてを失ったわけではない」

「どう思われるか、の行き方を捨ててラクになりました」

第4章 人間だもの、大変だね

この章では、借金の返済に追われたの8年間の奥さんと子供とのやり取りなどが述べられております。

「人を軽蔑することは間違っている。それは自分に帰ってくる矢だ」

「原因や責任を他者に向けている心根からは、何も見い出せません」

8000万円を振り込まないと絶体絶命というときにお金を貸してくれた人とのやり取り、大病を患って仕事のできないときにお金を貸してくれたかつての部下の事に触れられて多くを学んだくだりは感動的です。

「他人を疑ってばかりいると、つらい思いをすることがないかわりに、幸せを感じる機会も失われるぞ」

「世界はいっぺんに変わることはありません。

本当の変化は、自分の心が変わることで起きるのです。

ボヤいて他人や周囲を責めて嫌なことだらけにしてはいけません。」

第5章 生きているって、素晴らしーい!

25万人にひとりという心臓の病気で死の宣告を受けながらも、生き延びた経緯がまた凄い。

85キロあった体重が術後には40キロ台になって、退院後眠れなくなり、7ヶ月の苦しみ。

「苦しかった、叫びたかった、恐ろしさでのたうち回った。

が、騒いでも何も変わらなかった。どうせ死ぬのなら

狂い死ぬより楽しく生きようと腹を括れた時、明かりが見えた。」

「人には、再生できるチャンスがあるんですよ。」

知り合いの医療ジャーナリストの紹介で、親身になって、絶対に助けるといってくれる先生に出会い、生きながらえる。

「人生は、喜ばせごっこなんです。」

その仕事ぶりから無頼の徒でえあるかのようなイメージを持っていたのですが、これがなかなか、どんな事をしてでも必死で生きてやるという人間の言葉で励まされる書籍でした。

生中なことでは死ねないなと思います。

タイトル通り、自分がどん族にいると思ったら、読んでみてほしいと思います(所々、表現はちょっとですが・・)。


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人は死ぬ目に合うと変わるらしい。

これを実感した。

まず雇用されているということ。

たびたびサラリーマンは搾取されていると聞いていたのだけど、今の収入を捨てたくなくて

「ほんとかな?」

って思って動かなかった。

本当はめんどくさかっただけだけど。

創業者一族が富むためにこき使われてる現実を目にしても、独立のめんどくささから何もしてこなかった。

これが本音。

でも、怪我をして働けなくなると、簡単にポイである。

自営でも怪我をすれば困るんだけど、日ごろ同業者と仲良くやっていれば、外注に出すなりそれなりにはやっていけると思う。

でも、雇われだと、代わりはいくらでもいるとばかりに求人を始める。

人が来なければ、平気で今いる人間の給料を超える額で求人を始める。

せっかくいただいた命、人生であるから、そういうふうに粗末に扱われたくはないんだけど、資本主義社会ではそうなっている。

知っているのと経験するのとでは雲泥の差である。

これからの行動に大きな影響を与えるからである。

そして、これまで頑張っていたのはただの承認欲求からで、独り相撲をとっていただけでありました。

これで人生が変わりますね。

つらい経験というものは人を成長させるものです。

死なない限りは勝ちです。




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無題


先日撮ったお月様。

あちらから見たら、こっちの悩みなんか微塵も見えないんだろうな。

環境は圧倒的にあちらがキツイはず。

なんせ人間が住めないんだから。

でも遠くから見たらきれいに見えるんですよね。

快適な生活を求めるあまり目先の事ばかりに心を奪われて、「あれがダメだ、これがダメだ」なんて言ってるのが愚かしい。

生存できているってだけで奇跡なのに。

でも人間の寿命だと、生きていられるのも100年足らず。

その貴重な期間を悩んだり苦しんだりするのはもったいないですね。

ああ、温泉に行きたい・・・
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