僕は自分について、ずっとわからないことがありました。

心の奥底に怒りがある。

自分が好きになれない。

思い通りに発言できないで相手に合わせてしまう。

若い頃からずっとそうでした。

自分はなぜ我慢するのか?

人生がうまくいかない。

こんな筈ではないはずだ。

中年を過ぎてその原因を色々考えるようになり、テレフォン人生相談でおなじみの加藤諦三さんの本を買ってみました。

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この本を読んで、無意識に存在する欲求不満が何であるのかやっと分かりました。

多分、これを認めないと僕は次に進めない。

僕がこの本で理解したのは、ずるい誰かが僕を利用したということです。

考えてみれば、誰かに否定されるのが怖くて相手の意見に反論できない。

無意識に同意してしまう。

ずっとこれは優しさだと思っていた。

これと関連して、小学校の低学年の頃になぜ自分がこうなんだろうと思った記憶があります。

ある日、同級生が、お前の好きな子は〜なんだろう?

ってしつこく聞いてきた事がありました。

かなりしつこいので困っていたら、他の同級生が「これ貸して」って机においていた教科書を持って行った。

別にそれは良かったんだけど、詰問と重なったタイミングで泣いてしまいました。

好きな子の名前を問い詰めていた同級生は、びっくりして「自分が聞いたから泣いたが?」って謝ってくれたんですが、その時の自分は、「ちがう、教科書を持っていかれた」と言ってしまった。

教科書を持っていった同級生は慌てて返しに来るし、もうどうしていいか自分でもわからない。

悲しかったのは詰問だったのに、この咄嗟の条件反射は自分でも違和感を覚えました。

なぜ自分は反省している相手に違うと言ってしまうのか?

そうだと言うと相手を傷つけるからか?

ずっとわからないで同じようなことを繰り返してきました。

思春期になると、自分が嫌いでたまらなくなる。

心の底にはいつも苛立ちが残り、対面するといい顔をするくせに、その人から離れると腹が立って陰口を言う癖がある。

そんな自分が嫌でたまらない。

思うように生きられない。

無意識のレベルで何かあることは気づいていましたが、その原因がわからない。

それが、この本を読んで理解できました。

祖母が亡くなって20年も経つので、僕が祖母を嫌っていたことを、もうそろそろ認めてもいいのだろうと思います。

単に嫌いなだけで憎んだわけではないのですが、精神的にはかなりの迷惑を蒙りました。

それを認められなかったので、自分がわからなくなったのだと思います。

祖母がどういう人であったかというと、簡単にうと空威張りの自慢話ばかりする人でした。

小さなときから「おばあちゃんは偉いろう?」という問いかけをずっと僕に投げかけていた。

それに関連して、「あんたのお母ちゃんは偉い」という。

そのお母ちゃんを育てた自分はもっと偉いということを言いたかったんだろうと思います。

これを口癖のように延々と続ける。

そういう記憶しかありません。

年端の行かない幼児に何を認めてほしかったのかわかりませんが、多分よそでは認められなかったコンプレックスの現れだったのではないかと思います。

貧しい高知のことですら、大正生まれの祖母は、戦中戦後かなり苦労したのは分かります。

祖父は緑内障で失明して最後は胃潰瘍で30代で亡くなったそうですから、やっと掴んだ幸せを自慢したいのは分かります。

そんな祖母は、僕の友達が来たときにも同意を求める。

テレビワイドショーで、かっぱのミイラが出てきた時、祖母は、「どうもこれはさるみたいやねぇ」という。

ワイドショーに出てる専門家が、「これは猿のボディに他の動物の頭を付けたものだと思われる」という。

「ほらみてみぃ、おばあちゃんの言うたとおりやろう?」

って僕と友達に自慢する。

友達は呆れて「おまえのおばあちゃん、馬鹿やねぇ」って言う。

意見があたったのはいいとして、その自慢の仕方に腹が経ったんでしょうね。

自分のばあちゃんだけに何も言えない僕は悔しい思いをしました。

テレビを見てて少年非行のニュースが出ると、「うちの子はそんな子じゃないも」って言う。

友だちが来ててちょっと出て帰ってきたら友達を追い返している。

遊びに行くと探し回ってどこかに行くときには必ず行き先と帰る時間を言いなさいよと言う。

ちょっと転んだら「はようきてやはようきてや」と騒ぐ。

テレビを見ていたら馬鹿笑いをする。

石野真子を見て「こんな甘ったれた女は嫌い」と言う。

郷ひろみを見て「女みたいな男は好かん」と言う。

入れ歯を外して餅を食う。

「あんたに嫁さんが来たらこじゃんと言うちゃお」と言う(実際にうちの嫁さんは泣かされた)。

宗教の話も延々とします。

「神様はお見通しながやき全部(自分に)言わないかん」と言う。

これ、何回も何回もエンドレスに言われてきたことです。

自分にお伺いを立てなければ何事もできないように予防線をはろうとしていたのでしょう。

反抗期に逆らうと、母が「おばあちゃんは苦労して可愛そうながやき優しくしてやらないといかん」
「おばあちゃんがおらんかったらあんたは大きくならんかったがやき」と言う。

両親共働きで安心して出ていくには祖母は必要だったのは分かりますが、だからといって僕は意見も言わずに我慢しなければいけないのか?

「あんたはおばあちゃんを捨てなよ」と言う。

当然返事は「捨てん」です。

それ以外の答えは可愛そうな祖母が悲しむので許されないのです。

こういう家族は仲がいい訳ではなく、祖母の支配下に置かれていただけなんだと思います。

母と祖母に予防線を張られて、僕は期待に沿おうと自分を殺してきたのではないか?

そのうち、嫌悪感さえ抱く祖母の言動に合わせて自分の本心が分からなくなった。

どうも、これが僕の中にある怒りの原因なんだろうと思います。

自由にしている妹にさえ怒りがこみ上げてくる。

そういう子供時代でした。

いいか悪いかということではなく、今振り返ると、周りに甘えていながら周囲を驚かせるくらい虚勢を張る祖母は僕の嫌いなタイプです(好きな人は少ないだろうけど)。

彼女にコンプレックスを抱かせたのも(もしかしたら祖父が早逝したのも)多分この性格が原因でしょう。

祖母に育てられた恩義を感じなければいけないという行き場のない状況で、不満を吐き出すこともできずに生まれた習慣が、僕を苦しめ続けてきた。

遅くはなりましたが、その事をもう認めてもいいんだろうと思います。

嫌いな人を好きと言ってはいけない。

嫌いなら嫌いでいいんだし、言えない状況では黙って無視していればいい。

これからは、誰にも振り回されず、自分の人生を生きていくために素直に自分を認めて行こうと思います。

死ぬまで付き合わなければならないのは、他ならぬ自分なんですから。