僕は学生時代に大分の鶴崎に住んでました。

アパートは山川荘といった。

当時でも古い木造アパートで、4畳半2部屋をつなげて9畳部屋になってました(一部屋にバイク突っ込んでばらしたり組んだりして遊んでたので、部屋がガソリン臭かった・・・)。

2階建てが2棟あってお風呂とトイレで繋がったコの字型で駐車場を抱くかんじで建ってました。

失敗したのが、学校までの距離。

橋を一つ越えると卒業が一年延びるといわれていたのに、学校までは大野川を越える橋が一つあった。

だから当時自転車で通ってたけど通学が大変。

帰りに友達のところに寄ると、ついトランプに興じて帰宅が夜1時とか。

山川荘は学生ばかりだったんだけど、おばあちゃんが一人住んでて、10時以降はお風呂のボイラーを炊かないでくれなんて決まりがありました。

ので、残り湯でしか風呂に入れない。

夜中に帰ると、湯船は真っ白です。

最後に入ったヤツ、勇気あるなぁ・・

なんて考えながらもっと勇気を出して一度それで体を洗ってみたけど吐きそうだった。

ボイラーが炊けないのでシャワーで水浴び。

冬には耐えられないので風呂に入らなかったら友達から臭いといわれたので、仕方なしにまた夜中に水浴び。

今考えれば、友達の所でグズグズ遊ぶのをやめて早く帰ればよかったんですが、当時の優先順位はそれが最優先なんだから仕方がない。

夜中にパトカーに止められて職務質問されたり、ボタンのないシャツ着てたり、ペタルが片側取れてても修理せずに自転車に乗ったりと、今考えればとんでもない生活してました。

何でもっと勉強しなかったんでしょうね。

なんとか留年せずに卒業はできましたが・・

あれが若気の至りというやつですか・・

僕が言うのもなんですが、今の若者にはああいう生活はしてほしくないですね。