生老病死がもれなく付いてくるのが人間の一生だというけれど、生きてないと苦しみも生じない。

山があって谷があるのが自然の成り立ちなんで、それが当たり前なんだろうけど、そう考えると谷のドン底まで行けば登るしかないとなる。

しょせん、ものは考えようという事でしょうか。

大きく見える問題も小さく細切れにして処理すればそれほどのことでもない。

面白くもない問題をかたずけていくのも、単なるルーチンワーク化すればどうという事もない。

更にそれを超えて、問題処理をゲームみたいに楽しめるようになれば乗り越えるのも楽しくなると思う。

そう考えると、感情が働いて問題が大きく見えるのが原因なんだろうと思います。

では感情をコントロールするにはどうするべきか?

困難は生きてる証拠だと考えると、それもまたいいことなんじゃないかと思います。

無いものや失われたものに注目するのではなくて、与えられたものやまだあるもの、さらに自分が持っていて人に与えられるもの、それに注意を向ければ楽しい人生を送れそうです。