サイキ整備Service

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タグ:自分

何が難しいかって、自分を制御するのが一番難しい。

知らない間に自分を追い込んでいる。

根底にあるのは幼少期の環境や教育からくる習慣であることは明白であるけれども、それは気づけば治せるものだろうと思う。

欲しいのに要りませんと言ってしまう習慣とか、奴隷労働に身を差し出そうとする習慣、物事を悪く取る習慣、順調なのにそうでないところを探す習慣etc...

これが原因で、無意識に大抵自分でぶち壊している。

逆に、成功者は無意識にうまくいく方を選んでいるのだから運がいいとか言われるわけですね。

どんな逆境でも本人が気持ちいいって思っていればそこは天国なわけで、宗教にはまって喜んでいるのもまた天国なんだと思います。

で、課題は、自分が幸せと感じられる習慣をどうやって身につけるかであって、それは個々人の違いであるから結局は自分次第であろうという結論に達しました。

誰かをかわいそうだとか、羨ましいだとかいう前に、その人が本当にそう感じているのかどうかというのも併せて考えたいところです。

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昨年は、ずっとイライラしていた。

それが、この休みに読んだ

「自分がたまらないほど好きになる本」


の、この文面↓

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「終始質問をされること、または小さな依頼をされることはいらいらする」

耐えず横に居るやつが、

「なに?」「あれはどうした?」「あれ頼んで」「あれしたら?」

という。

コイツ・・・

思わず、足首に力が入る。

めんどくさいんで無意識にスルーしてたけど、時々

「うるさい!たまには自分で考えろよ!」

って言いたくなる。

改めて本で読むと、いるんだなこんなやつが世の中にも他に。

今年は、はっきりと不快であることを告げようと思いました。

事件を起こす前にまず言おう!

この本、おすすめです!







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これまでの人生を総括して、僕が真面目に聞いていた人の意見の大半がどうでもいいことなのに気づいた。

大体が、話している本人もよくわかっていない。

聞いている自分も相手の意図もわからない。

しかも、その場その時で気分も違う。

それを、真剣に聞くなんて正気の沙汰ではない。

生物にとっては大事なのは生存することだけなので、どんなルールも教えも命を賭してまで聞く必要はないのである。

誰かが怒ったりなだめすかしたり教えを賜ってきたところで、その発言の責任は誰も取らないし自分とは関係ないのである。

親、宗教、国家が何かを言ってきたところで、それが正しいのかどうかなんて、誰にもわからないのである。

そういう事で、誰がなんと言っても話はまともに聞くべきではない。

人の話は話半分で聞くべきである。

「あなたはどうしたいの?」

なんて聞く奴もいるが、そんなことあんたに知らせてどんな意味があるというのか?

自分がどうしたいかということは自分で決めるべきであり、自分で調べ考えて結論を出すべきなんである。

つまらんこと聞くなという事である。

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