かつて、搾取構造の底辺に身を置こうとする自分がいた。
家庭-学校-宗教-会社すべてでこれは一貫していた。
でもそれに気づいたのはここ数年の事である。
おそらく根底には祖母の教えがあると思う。
よく覚えていないが基本、
「弱い人は助けなければいかん」
というものだろうと思う。
それは母もよく言っていて、その弱い人というのは祖母の事であったからだ。
だから、毎晩肩もみが義務となり、母も祖母も上機嫌であった。
これは言い換えると、”言うことをきく”という条件で、”いい子”なのであった。
反抗期になると、ショックだとか言いながら説き伏せにかかる。
この構造は、今に思えば搾取の原型であって、宗教では組織や監督の言いなり、会社では上司の言いなりで、職責を果たしても業績を上げても手柄は上の人のものとなるように必死で働き、それを喜ぶのであった。
独り言のようなお婆さんの話に耳を傾け、あったことや思ったことはすべて打ち明け、今何をどういう理由でしているのかを報告し続けるように説得されていた。
小さい頃に、
「全部おばあちゃんに言わなぁいかんぞね」
という何度も言われた言葉を覚えている。
漫画が好きで漫画を描いていたら、母も監督も部屋に上がり込んできて読み始める。
隠してたHな本は家探しんで見つけられる。
仕事をしてたら社長やなにかが後ろにくっついて観察する。
気が散ってどうしようもないけど、キレることすら滅多になく、無理に淡々とこなしていた。
小学生のころ、友達に好きな子の名前を話すように責められていた事があって、そのタイミングで他の同級生が、教科書を貸してって持って行った事があった。
僕はそこで泣いてしまったんだけど、本当は好きな子の名前を言いたくなくて困って泣いたんであるけれども、好きな子の名前を聞いた友達がびっくりして
「俺が聞いたんで泣いたんやないだろう?」
という問いかけに対して、思わず、
「教科書持って行った〜」
と言ってしまった。
これまたびっくりした同級生が慌てて教科書を返しに来たんであるけど、このパターンは、祖母の
「お婆ちゃんのせいやないろう?」
というリフレインされるセリフと被ったからであると思われる。
つまり、自分の反応というものは目の前にいる人物を責めるのではなくて、そこにはいない誰かや何か、あるいは自分のせいにするという歪んだ状態に固定されているのではなかったろうか?
これが、仕事にも影響してきた。
それなりの仕事で、それなりの報酬を要求できる場合に、サービスしてしまうのだ。
これが、「自分は修理の仕事をしたいだけだ」とか、「世の中のお役に立てれば」とか、「ちょこっとだけなので」という回避された言葉になる。
自分でもそれを正当化しようとする。
本当は、何百万売り上げを上げても会社が持っていくだけだとか、役員にしてやるとか言いながらまったくその気のない社長の見え見えの態度であるとか、いくら給料が上がっても使える小遣いは同じだとか理解していても、誰かを幸せにするとか自己満足だとかいう偽りの理由で自分をごまかす。
見返りもないのに誰がやるかっていうのが正直なところなんであるけれども、それを無意識に回避して自分をだましてきた。
気が付いたら、テイカーに搾取される都合のいい人になっていた。
まず、自分の分を確保する、自分の心は守る。
これすらも分からないで幸せになろうとしていた自分は何だったんだろう?
「言わないから分からない」
「黙ってたからいらないと思った」
「自分でやると言ったんだろう?」
何度も聞いてきた、こういうセリフを引き出すために自分は生きているんじゃない。
幾度も死にたいと思っていたのも、自分の人生を生きていなかったからではないだろうか?
そう思えるようになったのは、怪我で一年間働けず、それのお陰でブラック企業を退職できたからこそだと思う。
死ぬ目に合わないと分からないというのはそういうことでしょうね。
ありがとう!
家庭-学校-宗教-会社すべてでこれは一貫していた。
でもそれに気づいたのはここ数年の事である。
おそらく根底には祖母の教えがあると思う。
よく覚えていないが基本、
「弱い人は助けなければいかん」
というものだろうと思う。
それは母もよく言っていて、その弱い人というのは祖母の事であったからだ。
だから、毎晩肩もみが義務となり、母も祖母も上機嫌であった。
これは言い換えると、”言うことをきく”という条件で、”いい子”なのであった。
反抗期になると、ショックだとか言いながら説き伏せにかかる。
この構造は、今に思えば搾取の原型であって、宗教では組織や監督の言いなり、会社では上司の言いなりで、職責を果たしても業績を上げても手柄は上の人のものとなるように必死で働き、それを喜ぶのであった。
独り言のようなお婆さんの話に耳を傾け、あったことや思ったことはすべて打ち明け、今何をどういう理由でしているのかを報告し続けるように説得されていた。
小さい頃に、
「全部おばあちゃんに言わなぁいかんぞね」
という何度も言われた言葉を覚えている。
漫画が好きで漫画を描いていたら、母も監督も部屋に上がり込んできて読み始める。
隠してたHな本は家探しんで見つけられる。
仕事をしてたら社長やなにかが後ろにくっついて観察する。
気が散ってどうしようもないけど、キレることすら滅多になく、無理に淡々とこなしていた。
小学生のころ、友達に好きな子の名前を話すように責められていた事があって、そのタイミングで他の同級生が、教科書を貸してって持って行った事があった。
僕はそこで泣いてしまったんだけど、本当は好きな子の名前を言いたくなくて困って泣いたんであるけれども、好きな子の名前を聞いた友達がびっくりして
「俺が聞いたんで泣いたんやないだろう?」
という問いかけに対して、思わず、
「教科書持って行った〜」
と言ってしまった。
これまたびっくりした同級生が慌てて教科書を返しに来たんであるけど、このパターンは、祖母の
「お婆ちゃんのせいやないろう?」
というリフレインされるセリフと被ったからであると思われる。
つまり、自分の反応というものは目の前にいる人物を責めるのではなくて、そこにはいない誰かや何か、あるいは自分のせいにするという歪んだ状態に固定されているのではなかったろうか?
これが、仕事にも影響してきた。
それなりの仕事で、それなりの報酬を要求できる場合に、サービスしてしまうのだ。
これが、「自分は修理の仕事をしたいだけだ」とか、「世の中のお役に立てれば」とか、「ちょこっとだけなので」という回避された言葉になる。
自分でもそれを正当化しようとする。
本当は、何百万売り上げを上げても会社が持っていくだけだとか、役員にしてやるとか言いながらまったくその気のない社長の見え見えの態度であるとか、いくら給料が上がっても使える小遣いは同じだとか理解していても、誰かを幸せにするとか自己満足だとかいう偽りの理由で自分をごまかす。
見返りもないのに誰がやるかっていうのが正直なところなんであるけれども、それを無意識に回避して自分をだましてきた。
気が付いたら、テイカーに搾取される都合のいい人になっていた。
まず、自分の分を確保する、自分の心は守る。
これすらも分からないで幸せになろうとしていた自分は何だったんだろう?
「言わないから分からない」
「黙ってたからいらないと思った」
「自分でやると言ったんだろう?」
何度も聞いてきた、こういうセリフを引き出すために自分は生きているんじゃない。
幾度も死にたいと思っていたのも、自分の人生を生きていなかったからではないだろうか?
そう思えるようになったのは、怪我で一年間働けず、それのお陰でブラック企業を退職できたからこそだと思う。
死ぬ目に合わないと分からないというのはそういうことでしょうね。
ありがとう!
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