過去を懐かしむのは、結果が分かっているからではないか?

ふとそう思った。

先が不安なのは人間の性みたなもんなんだろうと思うけど、結果のわかったゲームを楽しみたいというのが、過去を懐かしむという行為なんではないか?

宝くじでも外れたらがっかりするんだけど、当たったところを思い浮かべて買おうとするし、南海トラフであれば、来たらどうしようなんて考える。

こうして、努めて結果を予測したがるのが人間だろうと思う。

過去の出来事や行為がどういう結果になったかというのはある程度分かっているわけだから、それをジャッジして、ああよかったとか、ここをこうしとけばもっと良くなったんだとか、改善したがるのは今後の結果をコントロールしたいから。

実は、ゲームも人生も、結果が分かってたら面白くはないんだけど。

原因も結果も関係なく、いまここにただある。

それだけが真実で、意識がその域にまで達すれば最高なんですが。

問題も、起きたらそれに対処すればいい。

あれやこれや考えていられるほど、僕らの脳のキャパシティは大きくない。

過去の記憶なんてあいまいなものだし、奇麗な記憶に置き換えとけばいいのでありますね。