♪インドの山奥で修行してー♪

ご存じレインボーマンの主題歌である。

僕はこれを聞いて、子供心に、うわー、凄いんだなぁって感心していたもんである。

そう、インドで修行するとなんかすごい感じがするのである。

いや、したと聞いただけで、もう悟りを開いたヒトみたいに思うもんだ。

本当に凄いかどうかは会ってみないと分からないんだけど、ヤマトタケソはレインボーマンに変化するので凄かった(が、悟りを開いいたのとは別のような気がするが)。

大人になって中村天風先生の本を読んだ。

肺を病んで、カンチェンジェンガでカリヤッパ先生の指導の下、ヨガの修行をしたとの事。

これもすごいと思った。

僕の感心メーターはマックスに振れたが、更に天風先生の本を読んでいるとちょっと戻った。

天風先生によると、当時のカンチェンジェンガでは腰布してても皆さんほぼフリチン状態で、天風先生がフンドシというものを教えてあげたら、見ていた偉い人(?)が慌てて飛んできて、そんなもので締め上げると体に悪いって言われたのだとか。

この状態で一生何も考えない修行をするというのは楽しいのか?

文明に毒された僕には理解できなかったけど、それがデフォルトなのであれば多分幸せなんだろうと思う。

で、この状態で悟りを開いた場合、レインボーマンに変身できるのか?

できてなんになるのか?

もはや何のメリットも感じられなくなってしまった僕の脳裏にはひとつのひらめきがあったのであります。

「遠い異世界で修行して帰ってきたんだゾ」

っていう売り文句は、

「俺は大企業にいたから何でもわかるんだゾ」

っていう、マウンティングと同じなんではないかと。

確かに、なんか凄そうって思ってもらえればとても嬉しい。

宗教の先生でも、総本山で修行してきましたとか、本部にいましたって言われると、勝手に凄いんだって思って貰える。

ネットワークビジネスで言われるティーアップってヤツですね。

そこにいたから凄いのと、本当に凄いのとでは微妙に違うんだと思うんだけど、凄いの定義があいまいなので、その人の言っている意味では多分凄いんだと思うというのが本当の所なんだろうな。

というわけで僕らの脳は、なんだかわからない事ですぐに結論を出してしまう即席麺みたな働きをするんだなって事が分かりました。

凄いな〜・・

今度からできるだけなんも考えずにAIに考えてもらお♪

いや、AIも何が凄いんだかまだよく分かりませんでしたね。