読みかえしました。
失敗の本質―日本軍の組織論的研究 (中公文庫)
日本軍が何故負けたのかということより、日本の組織の陥りやすい弱点が浮き彫りにされている。
結論を言えば、目的の曖昧さ。
一つの例として、ミッドウェー作戦の目的が挙げられていて、引用すると
「ミッドウェー島を攻略し、ハワイ方面よりする我が本土に対する敵の機動作戦を封止するとともに、攻略時出現することあるべき敵艦隊を撃滅するにあり」
解説では、
「前段は、ミッドウェー島攻略を志向し、後段では米艦隊撃滅を目的としている」
となってます。
戦争の開始と終結の目標に関しても、
「そもそも米国の対日戦略の基本的戦略は、日本本土の直撃、直接上陸作戦による戦争終結にあった」
のに対し、
「日本はある程度の人的、物的損害を与え南方資源地帯を確保して長期戦に持ち込めば、米国の戦意喪失、その結果としての講話がなされよういう漠然たるものであり・・」
という対比がなされてました。
漠然と、戦争が集結するんではないかという希望的観測で始めたということでしょうか?
これ、今の日本社会にも受け継がれてるような気がします。
多分とかおそらくといった推測から発して、目的が曖昧なまま事を始める。
また、決めたことも、”言わんでもわかるだろう”という伝え方、”つもりだった”という考え方。
多分、忖度が日本社会の基盤なんですね。
少子化問題も、なんとかしないといけないと言われて久しいですが、
少子化を止めるという明確な目的を立てることもなく対策は立てる。議論する(した)。
で終わる。
なんとかしなきゃって言いながらなんとかできないのはやはり日本の本質なんでしょう。
トランプ氏みたいに貿易摩擦をなくすって目的を立てていきなり行動に移すのも混乱しますけど。
いいとか悪いとかは、誰にも言えないとは思うけど、国民が命をかけた戦争で目的が曖昧だったんで玉砕という自滅の道しか見えなくなったんではないかな?
有事にはそれではだめで、逆に平和時には、忖度、玉虫色の社会の良さが生きてくるんではないかと思います。
そういえば、この本で取り上げられていた行きすぎた精神論というので思い出したのが、昔聞いた宗教の話。
社会現象や事件の一部参照して、
「多分こうでしょう」
っていう話から始まって、
「恐らくこうでしょう」
で、
「絶対こうでしょう」
となり、
「だからこうしなさい」
って結論になる。
最初のところが”恐らく”なんだから、推測が基盤になってるのに結論は確定的になってる。
勧誘する方は目的がハッキリしているから聞いてる方は、
「この人、考え方がしっかりしてるー」
って、持ってかれてしまいます。
でも、日本人って、この手の話が好きなんですよね。
夢見がちな民族なんでしょうね。
それとも、「あっちもいいけどこっちもいい」って、欲張りな民族なのかな?
八百万の神がいますからね。
失敗の本質―日本軍の組織論的研究 (中公文庫)
日本軍が何故負けたのかということより、日本の組織の陥りやすい弱点が浮き彫りにされている。
結論を言えば、目的の曖昧さ。
一つの例として、ミッドウェー作戦の目的が挙げられていて、引用すると
「ミッドウェー島を攻略し、ハワイ方面よりする我が本土に対する敵の機動作戦を封止するとともに、攻略時出現することあるべき敵艦隊を撃滅するにあり」
解説では、
「前段は、ミッドウェー島攻略を志向し、後段では米艦隊撃滅を目的としている」
となってます。
戦争の開始と終結の目標に関しても、
「そもそも米国の対日戦略の基本的戦略は、日本本土の直撃、直接上陸作戦による戦争終結にあった」
のに対し、
「日本はある程度の人的、物的損害を与え南方資源地帯を確保して長期戦に持ち込めば、米国の戦意喪失、その結果としての講話がなされよういう漠然たるものであり・・」
という対比がなされてました。
漠然と、戦争が集結するんではないかという希望的観測で始めたということでしょうか?
これ、今の日本社会にも受け継がれてるような気がします。
多分とかおそらくといった推測から発して、目的が曖昧なまま事を始める。
また、決めたことも、”言わんでもわかるだろう”という伝え方、”つもりだった”という考え方。
多分、忖度が日本社会の基盤なんですね。
少子化問題も、なんとかしないといけないと言われて久しいですが、
少子化を止めるという明確な目的を立てることもなく対策は立てる。議論する(した)。
で終わる。
なんとかしなきゃって言いながらなんとかできないのはやはり日本の本質なんでしょう。
トランプ氏みたいに貿易摩擦をなくすって目的を立てていきなり行動に移すのも混乱しますけど。
いいとか悪いとかは、誰にも言えないとは思うけど、国民が命をかけた戦争で目的が曖昧だったんで玉砕という自滅の道しか見えなくなったんではないかな?
有事にはそれではだめで、逆に平和時には、忖度、玉虫色の社会の良さが生きてくるんではないかと思います。
そういえば、この本で取り上げられていた行きすぎた精神論というので思い出したのが、昔聞いた宗教の話。
社会現象や事件の一部参照して、
「多分こうでしょう」
っていう話から始まって、
「恐らくこうでしょう」
で、
「絶対こうでしょう」
となり、
「だからこうしなさい」
って結論になる。
最初のところが”恐らく”なんだから、推測が基盤になってるのに結論は確定的になってる。
勧誘する方は目的がハッキリしているから聞いてる方は、
「この人、考え方がしっかりしてるー」
って、持ってかれてしまいます。
でも、日本人って、この手の話が好きなんですよね。
夢見がちな民族なんでしょうね。
それとも、「あっちもいいけどこっちもいい」って、欲張りな民族なのかな?
八百万の神がいますからね。