サイキ整備Service

日々体験したこと、気づいたことを綴ります・・・ PC等出張修理いたします! お気軽にお問い合わせください!

2023年12月

今年も残すところ数時間。

色々あったけど、いい一年でした。

かなり本も読めたし。

来年は年男。

還暦を迎えます。

辰年生まれなんで、なんだか昇れるような気がしながらこの年を迎えました。

特に出世も望もしなかったけれど、そこそこには成功したかった。

まあ、思い通りには来たんじゃないだろうか?

日本の国が増税と社会保障費で、これほど国民を苦しめる事になるとは思わなかったけれど、まあ、それも訓練と思えば耐えられないこともないか・・(?)

というより、生きてるんだから死ぬわけにもいきませんしね。

お金の件で望みを高く持たなければどうという事もない。

それよりも安定と幸せを求めて生きたい。

来年は色々変化を迎える予感がするので、楽しみでならないのですよ。

そう思えばそうなると思えるようになったのが今年の成長です。

ともあれ、みなさま、今年もお世話になりました♪


    このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

今年は宗教2世問題が遂にというか、やっと噴出した年でありました。

思想がテーマであるだけに、組織的に隠ぺいしようと思えば隠ぺいし放題の壁の向こう側。

組織のトップがかん口令を敷けばそれはそのまま速やかに全体に浸透します。

実を言えば、僕の家は宗教をやっていたので宗教3世といえばそうである。

がっちりガチガチにやられていたわけではないけれども、子供のころから先祖と神様の話を聞かされ、夏休みには合宿みたいなのにも参加したこともあります。

なんとなくそういうもんだと思っていたけれども、学校ではなんというか、周囲の方々とは何かがちょっと違っていた感がありました。

ひとことで言うと、混乱という感じ。

基準がいくつもある。

先祖と神様とどちらに頼るのか?

したらいかんとか、こうじゃないといかんという戒律は嫌というほど聞かされているのだけれども、どうやら友達にはそういう基準は無いらしいとか、頭がよければ勉強しなくても成績が良くなるとか(なんで?)、祈ったか祈らんかで結果が決まるとかなんとかかんとか・・・

子供は素直に受け取るので、成長するにつれて矛盾が出てきて、婆ちゃんと口げんかになる。

そうすると、反抗したと言って非難される。

僕が受けた宗教は、今問題になっている組織とは違う組織であったので、あそこまでは酷くなかったけれど、それでもそのまま大人になると社会に適応できなくなるのは理解できます。

案の定僕の場合も就職には失敗しましたが。

そうはならない2世もいるのだろうけれど、組織でいい子になろうとすればするほど、それとは遠い精神に陥っていきます。

でも一番の弊害は、周囲の目を気にしすぎるようになる事だろうと思います。

人がいなくても、神様とご先祖が見ているぞなんて言われると、うかつなことはできません。

失敗したと思ったら、先生に懺悔し許しを請うという非常に正直な人間になり、テイカーと呼ばれる人たちの餌食となります。

規律は必要だとしても、人それぞれ自由に生きる方向も志向も違うのに無理やり型にはめようとするなら、いびつな形にしかなりませんよね。

それが噴出してきたのがあの問題ではないかと思うのです。

これを機に、行き過ぎたところは是正されることを希望します。












    このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

昔、職場の先輩に、

”ほやけんどおじさん”

と呼ばれていた男がいた。

必ず反論を繰り出すおじさんである。

その後、どこに行っても、このタイプの人間が僕の周りに出てくるので、僕が引き寄せて来たのかもしれない。

この種の人間は、仕事中もついて回って話しかけてくる。

こちらが説明をすると、

「なんでな」

とか、

「いいや、それはこうや」

とか言い出すので、それに対する説明を延々と続けることになり、仕事にならない。

それが最近気づいた。

「人の事はほっといて、自分の事をしいや!」

と僕が言わないから、他で嫌われたこれらの人種が僕に寄ってくるのである。

最初の、”ほやけんどおじさん”の更に先輩の技術者は大変だったそうだ。

教える端から、

「なんでな。こうじゃないないんな?」

って、いちいち反論してくるので、最後は教えるのを投げてしまったのだそうだ。

結果、おじさんは、

「俺は誰にも教えてもらってない」

なんて言っていたが。

素直に聞く事って大事なんだなってつくづく思った。

と同時に、”ほやけんど人間”をしっかり見極めてきっぱり拒絶することをやらないと、あほみたいな説明を延々と続けないといけなくなって発狂する事になる。

嫌われるのが嫌だって?

大丈夫。

人間は無数にいる。

人間関係もどんどん入れ替わって、そのうち居心地のいい人ばかりに囲まれることになるから。





    このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

何週か前、「うちの弁護士は手がかかる」を見てたら、ムロさんが、

「怒っていいんですか?」

って聞いたら平手さんに、

「怒っていいんです。怒るべきです」

って言われてました。

そう、この状況で怒っていいのか悪いのか、それさえ分からなくなる人種というのがいるのです。

小さい頃から、感情を出す事への事への周囲のの過剰な反応が、怒る事への罪悪感へと繋がって、いわゆる”いいひと”というのを作り上げます。

こういう人は、周囲に、いわゆるテイカーという種類の人間がいて、搾取され続けてきたものと思われます。

都合よく利用してそれはできないと拒否すると締め上げてくる毒親、上司のようなものだと思います。

人間社会の構図は概ねそういうものでできているとは思いますが、いつまでも搾取される側にいると、寂しい末路しか見えなくなる。

せめて3回に一回ぐらいは断りたい。

否定するたびに怒鳴る必要もないけど、感情は出さないとWin-Winの人生は送れない。

という事で、まずは自分の必要を満たし、それから他の人を助けるという確固たるルールを確立するべきだと思います。

どこまでも要求してくるクレクレタコラを自分の周囲から駆逐し、持ちつ持たれつの関係を築ける人とだけお付き合いするには、時には感情を出すことは必須だと思います。

その前に、自分は本当は何が嫌で何が好きかという事を理解しないといけないのが厄介な所ですけどね・・




    このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

子供の頃、おじいさんのやっていたお店でアルバイトをしていた。

そこでひらめいたことがあった。

このアイス、30円で買って家に持って帰ったら5円の運び賃のっけて家族に売れば5円儲けるぞ。

今にして思えば、将来の商売人の誕生の瞬間であった。

と言いたいところだが、母親に怒られた。

そんな姑息なことはするなという。

当時の親はサラリーマンであったから、お金は時間換算で貰うという感覚であったのだろう。

僕はそのままお金は汚いものだと思い込んでしまった。

お婆さんの宗教教育でこれが進み、資本主義社会にさえ疑問を持つようになり、宗教に出家する事も考え始めた時期がある。

あの頃は終末論が盛んで、かなりヤバい空気が漂っていたから、もうどうしようもない感じでありました。

まあ、その後何十年も労働の対価を請求することもできずに、ブラック企業、あるいは無償で働くことを美徳とした結果、悪質なテイカーに捕まり搾取され続ける生活を送ってきたわけでありますが、それも大きなけがをして電話もブロックしまくり仕事も辞めてやっと目覚めたわけであります。

さて、これからどうやって巻き返すか。

来年が楽しみなところでありますね。



    このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

前に奥さんが野菜ジュースにはまったことがあった。

何かの本で読んだらしい。

野菜をたくさん入れて、セロリ臭いものであった。

痩せるらしい。

臭いので、息を止めて一気に飲まないとかなりきつい。

これを食前に飲む。

何か月か続けてみたが、一向に痩せない。

痩せるわけがない。

飲んだ後に普通にご飯も食べるし間食もするからだ。

調べてみると、これを食前に飲むと食欲が抑えられて、痩せるのだそうだ。

全然食欲も減らないし、ストレスで間食をし、ルーティンワークとして食事をしている自分としては、食べる食物に飲む野菜が増えただけという事であった。

それはそれで健康的なのであるとは思うのであるが、量と重量は確実に増えている。

いい野菜をと言いながら買う野菜は高いものを選んでいる様子で、止めても聞かないから稼ぐ端からセロリに変わっていく僕の給料が気になってストレスは益々増えていった。

この無間地獄から解放されたのは、事故で退職してから。

収入が減ったので、やむなしに節約が強制されたからだ。

セロリのために牛馬の如く働くラットレースから降りられたのはまさに事故のお陰でありました。

「お金の使い方は家族が教えてくれるであろう」

とは、ナポレオンヒル博士の”思考は現実化する”に(多分)書かれてありましたが、ほんまやね。

「あなたの健康のためよ」

とか言いながら引きずられていく構造は宗教の勧誘と同じ構図なのではないか?

とさえ思える。

自分の意識外で出ていくお金がこんなにも辛いものでああるのかという、重大な現実を教えてくれた事例でありました。















    このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

サラリーマン時代に社長が言った。

「今度増資するから」

僕は思った。

それが僕に何の関係があるの?

意味が分からないままにその後退職したのであるが、もしかしたら給料が増えるという話だったのか?

たとえ昇給しても、小遣いの変わらない僕には何の影響もないのであった。

いやむしろ、昇給したんだから売り上げを上げろという事にでもなれば、かなり影響がある。

昇給しても奥さんは、

「あれだけ働いてるんだから当然よ」

的な言い方をするだろう(してきた)。

これは板挟みになる自分がかわいそうだと思ったものである。

よく考えたら、誰かのせいにして誰かを利用しようというロジックは日本社会ではもはやスタンダードである。

「少子高齢化で社会保障費やら税金を上げないと大変なので上げます」

っていうあのシンプルな論理は典型的なものではないだろうか?

少子高齢化はお前たちのせいだみたいな感じがする。

それは自然現象なのかもしれないし、過去の政治の失敗なのかもしれない。

少子高齢化にかなりの影響をもたらしたのが、過去の社会保障費増額と消費増税であったと思われるのに、それを増やす理由がまたそれかいみたいな気もする。

いずれにせよ、何か(あるいは誰か、もっと酷いのになると、あんた)のせいだからこうしますよってなし崩しにやってくる災厄。

言われた本人は素直に、

「ああ、そうなんだな、自分のせいだな」

なんて自分を責めながら奴隷として落ちていく。

誰のせいでもないから、今この現象をどうにかしようとしようよ!

なんて、思う人は少ない。

理由ばかり考えてて実行する対策は、今までの延長でしかない。

なんででしょうね。

楽だからかな?

いや、自分のせいだって言われたくないという一語に尽きるのでしょうね。

どうにかこの思考習慣から脱出したいものです。
















    このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

話し方には、イラっと来る言い方というのがありまして、これが癖になっていると人間関係がうまくいかない。

いわゆる言葉にトゲがあるってヤツですね。

まずは、イヤミな言い方。

相手に責任があるようなイメージを与えます。

人のせいにして自分の責任を回避する習慣のある人に多いように思います。

ほんとにイヤミを言ってるんなら意図した通りなんですけど、そうでない場合は人間関係的に結構きつい。

日ごろ気にしてる所をチクチク言われると、とても嫌いになります。

相手の落ち度を即座に責める揚げ足とりの言い方が天才的にうまい方もいらっしゃいます。

あと、くどい話し方。

同じことを、言い方を変えて延々と話し続ける。

自分を納得させるために自己対話してるんだと思うんですけど、話を聞かされる相手は延々と終わらない話にイライラします。

ひとりでやってくれってなります。

更に、なんでも否定する癖のある方。

あらゆる可能性を模索する向上心は凄いと思うんですけど、

「どう思う?」

って聞くから

「こうじゃないの?」

って言うと、

「こっちは?」

とか、

「そうじゃないけどね」

とか、

「それは嫌だ」

とか、とにかく否定する。

聞いてこなければこちらはどうでもいいんだから答えもしないのに、これでは言いがかりです。

しまいには喧嘩売ってんのか?

ってなります。

これって、ベースは自分の事しか考えてないんじゃないか?

なんて思うんですが、如何なものでしょう。

黙って読書していたい僕にとっては、時間泥棒でしかないんですよね。

こういう試練を克服するのもゲームみたいで楽しいかもしれませんけどね。

いや、僕が無意識に引き寄せてるのかもしれないので、そこを克服するのが今後の課題なのかもしれません。







    このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

最近、どうも世の中が変わったように見えてきた。

ベートーベンの絵がいつのまにやら羽ペンが鉛筆に変わっているとか、スフィンクスの前足が長くなってるとか、左にあったはずの心臓が今では真ん中になっていたとか、はせくらみゆきさんのパラレルジャンプの話を聞いたせいだろうか?

昔から人から影響を受けやすかったのだが、遂にここまで来たかという感じがする。

まあ、ここのところ体調も悪かったのであるが、それさえも、

「だって、ジャンプする前にはしゃがむじゃん」

的に、いい事の兆しに思えるのである。

年末を迎えて仕事も減ってきたんであるが、そういう中でも部品問い合わせなんかでいくらか行う事もあり、それがまた塩対応だったりすると、以前は

「テメー、舐めてんな!」

なんて思っていたのであるが、最近では、

「この人も社畜で大変なんだろうな。受注しても俺の給料変わらんし」

みたいなことを思って、暇だといいなーなんてのらりくらりやっているところに、得体も知れない変な奴から見積もりの電話なんかがあって、

「はよ断れや」

みたいな感じで適当な応対してるんじゃないだろうなー

とか、いや、早く帰りたいだけかなーー

なんて、思いやり深い心でおおらかに思えるようになったのも変わったところですかね。

そんなことも考えなくなるのが目標ですが。

ただ、”ある”を認めて無心に生きられれば、もっとすごい世界にパラレルジャンプできるかもしれないなって思っております。










    このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

ビジネスで、あり得ないと思っていたのがいました。

それは、商品の原価を聞く客!

非常に不快な思いをしました。

いや、友達ではいないこともなかったけど、それは同業での話。

色々勉強したり交渉して仕入れ先を開拓しているのだから、そこは企業秘密です。

お客さんでこれを聞く人がいるとはびっくりしました。

これはマナー違反だと思う。

こちらも利益を乗せた額を言えばいいだけだけど、どこで仕入れてるんだとか聞いてくるのは論外。

こちらはそれで食ってるんだから原価を知りたがると言う事は、

「お前それだ乗っけてるんか?」

って批判してるのと同じで、直接言わなくても、なんだか批判されてるように思います。

興味はあるかもしれないけど、後々の事もあるし、こういうマナー違反者は即取引停止です。




    このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

歳を取るとキレやすくなるらしいが、僕は若い時から時々キレていた。

お友達からは、「こいつは突然怒り出すからなー」なんて言われておりました。

僕としては、ぎりぎりまで我慢して、

「なんでそこまで言われないといけないんだー!もうやめてくれー!」

っていう悲鳴(ヒステリー?)なんだけど、どうもそういう風には取られないらしい。

それが、最近、youtubeの動画を見ていて、舐められる人の特徴に気づいた。



ギリギリまで我慢しすぎである。

子供の頃絶えず言われていた

「そんなこというたらいかん」

という声を聞きすぎていました。

この言葉は取引であって、それに従わないと家には居場所がないぞという強迫がセットになっていた。

この感情は繰り返し起きていて、学校でも職場でもイエスマンでないと居場所がないという強迫観念となって、ちょっと指導されるとひたすらじっと我慢するか、キレた後にもう終わりだと感じて辞めてしまうという拒絶反応を起こす。

言うべきことを言うのと、拒絶してキレまくるのとでは違うはずなのに、この区別がつかない。

これはもう克服したと思っていたのだけれど、先日よく似た事が起きました。

車検を紹介してくれるというので、紹介料一万円という話で見積もりを出しました。

まずは見積もりを出す。

かなりギリギリの線で、法定費用込みで5万円ちょっと。

そうすると、部品交換を加えてもう少し取っていいというので、8万円弱になりました。

見積もりを出すと、それでいいというのでそれで実施。

お金を領収して紹介料を渡して感謝して帰ると、しばらくして電話がありました。

工賃取ったら悪かったようなことを言うので、見積もりで承諾していたのではないかと聞くと、明細を説明し始める。

お金を返せばいいのかというとそうじゃないとの事で、突っかかって来るんだったらこっちも言わせてもらうとかいうんだけど、また工賃の説明が始まる。

僕は修理込みで車検が8万弱(そのうち1万円は紹介料)でできたらええやんかと思っているんだけど、知人はどうやらユーザー車検の値段を考えているのでしょう。

ユーザー車検の値段で部品代立替で修理工賃抜きだったら僕はどうなる?

これはかなり舐められてるなって思い出したら声が震え始めた。

じゃあどうすればいいんですか?

って聞いたら、また説明が始まるので遂にキレて、怒鳴りつけて電話を切って電話をブロック。

もう二度とこいつの仕事は受けない。

もう言っても来ないだろうけど。

当たり前の反応だと思うけど、もう少し早く採算の合わないことに気づいて関係を切っていれば、紳士的な付き合いもできたのではないかと思う。

キレると自分でも嫌になるんですよ。

もう少し早めにノーという癖をつけないとな・・

迷惑かけてごめんね。

技術者は技術を売ってるんであって、舐められてなんぼって商売じゃないもんでね。

中野信子さんによると、たまにはキレたほうがいいみたい♪(やったー♪)














    このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

今年も終わりに近づいたので、色々考えていたのですが、ふと見つけたのがふるさと納税。

返礼品がもらえた上に住民税が減免されるっていうやつ。



なぜ今までしなかったのか?

答えは簡単。

めんどくさかったから。

でも今年は時間があるからやってみようって思いました。

一番人気は楽天ふるさと納税らしい。

ワンストップ申請サービスもあります。

ポイントも貰えるし。

かんたんシュミレーターで、どれぐらい納税すればいいのか計算できます。

しかも、楽天リーベイツ経由だとポイント追加でさらに嬉しい。

探せば色々面白い事があるんですね。

皆さんも如何でしょうか?



    このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

知人の言葉に、

「末っ子はいろいろお世話してくれるけど、あとで必ず文句を言う」

末っ子に限らず、この思考がある人とは付き合いたくない。

会話をしていると、気分が悪くなることが多々ある。

なにかいい事があると言っては、「でも〜だよ」が必ずくっつく。

物事が全部決まってから、後だしで文句を言ってくる。

何が気に入らないのか?

「それでええやんか!あるがままを受け入れろよ」

なんて、正義の鉄槌をくらわしたくなる。

行動しないで、行動しない理由をひたすら説明する。

要するに、依存症なんではないかと思うのであるけど、誰かを捕まえては文句を言っている。

うるさいから、周りの人は会話をやめ、そっと離れていく。

そうなると寂しくなるからまた誰かを捕まえては同じことを繰り返すのである。

周りが迷惑だから、一人で洞穴ででも暮らしてほしい。

こういうタイプがいたら、生命エネルギーを吸い取られるので気を付けましょう。



    このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

いろんな人と会話していて、人の言葉の間違いをいちいち訂正する癖のある人がいますが、この人はさぞかし生きづらいだろうなって思います。

あと、言葉を長々と説明するひと。

関心のない話を延々と語られるのは苦痛だし、かなり不快です。

度を越したその行為は、相手の言う事を否定しているのと同じだと思うのですね。

本人は几帳面できちんとしていたいという動機でやっているんだろうけど、訂正される側としては、そういう事ではなくて別の目的があって話していたりします。

そこに至るまでにねちねち話の腰を折られると、

「こいつに話しても無駄だわ、めんどくさい」

ってなる。

その前に、今何を伝えようとしてたんだっけ?

ってなりますが。

話の腰を折ってまで几帳面に言葉を訂正してくる人とは自然に会話する相手がいなくなります。

そういうわけで、僕は、

「うわー、この人、生きづらいだろうな・・・」

なんて思うわけです。

自分で蒔いた種を自分が刈り取るとはそういう事なんでしょうね。

物事がうまくいくか行かないかという事はこういうちょっとした癖から分かれてくるのですね。

これは自分にも当てはまる。

ここで必要なのが、メタ認知っていうんですか、

自分の事も一旦外から眺めて同じことをしていないかチェックする習慣が欲しいですね。

いや、勉強になりました。

ありがとう、反面教師!

    このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

このページのトップヘ