サイキ整備Service

日々体験したこと、気づいたことを綴ります・・・ PC等出張修理いたします! お気軽にお問い合わせください!

2024年06月

知らない間に楽天銀行の仕様が変わっていて、ワンタイムパスワードが受け取れなくなっていた!

なんて方も多いと思います。

2


うちの場合は、解約したauの〜ezwebという化石化したメアドが未だに登録されていて困りました。

これを変更するのがとても大変。

カスタマーサービスに電話するも要領を得ずというか、理解できず危うくカスハラに至る所でありました。

で、なんとか理解したところをまとめてみると、まず冒頭に書いたようにセキュリティ上の都合からGメールなどのフリーメールは使えなくなったということが前提にあって、OCNやぷらら等のプロバイダーのメールアドレスを準備する必要があります。
一覧はこちら

使えるメールアドレスが準備できたら、こちらのページ下の黄色いボタンを押して準備したプロバイダメールを登録します(要ログイン)

8


登録できたらワンタイムパスワードの受け取りアドレスに指定するわけですが、ここで変更しようとすると、前のメールアドレスに確認のワンタイムパスワードを送るようになっているので、ここで無間地獄にはまります。

このケースでは、ワンタイムパスワードを郵送で発行してもらってそれを登録しない限り、絶対先へは進めないという鉄壁の守りなんでありますね。
参考URL

↑なので、ここにはまった方は、参考URLを参考にしてワンタイムパスワードを郵送してもらってください。

分かりにくいので、電話するときはPCで楽天銀行にログインしてスタンバイしておいた方がいいです。

要点をまとめますと、

ワンタイムパスワードの送信先のメールアドレスはプロバイダーメールのみなので、それを準備して自分で登録する→ワンタイムパスワードを郵送で発行してもらってパソコン画面で自分で変更手続きをする。

という事です。

とても便利でお得な楽天銀行様でありますが、正直なところ途中で嫌になりますね・・・

デジタルデバイドを感じるところです。
    このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

体力と引き換えにして歳を取ると色々分かることもあって、これは実は若いころからの蓄積の産物であったりする。

その中でも達観した事の一つに、安定と生きがいというものがあります。

安心安定した生活を求めるのは人の常であると思うのですが、同時に「ここではないどこか」に行きたいという欲求がある。

それを転職に求めたり旅行に求めたりするわけですが、行った先でもまた「ここではないどこか」を探し始める。

常に進歩を求めているといえば聞こえはいいけれど、結局は無いものねだりで終わるような気がする。

それは何かという事を考えていたら、何かに向かって動く、努力するという事を求めているのではないかという事に気づく。

とどのつまりは、そこで出るアドレナリンとドーパミンが心地よいだけなんではないだろうか?

ただ単に、その状態を求めてさまよっているのが人間というものなんでしょう。

意図的にこの状態を出せればいいんだけど、これがなかなか難しい。

趣味があれば趣味に没頭し、仕事が好きなら仕事に没入するのが一番手っ取り早いのだけれど、そこに至るまでには時間とお金がかかる。

それが達成される時期というのが歳をとった頃であるのではないだろうか。

若いころから色々好きなことを試して行動できれば最高なんだけど、生活が追いかけてくるようではそうもいきませんしね。

こういう思い込みも無くすほどに脳内ホルモンの出ることに没頭できればいいのでしょうけれどね。

まあ、僕の経験としては、若いうちから運動と読書、そして瞑想の習慣を身に着けるのが一番いいように思います。







    このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

無くて七癖シリーズ第二弾。

ひがみっぽい精神。

何か指摘されると、嫌な感じに聞こえるらしい。

すぐに機嫌が悪くなって

「嫌味な感じ」

と返事をする。

こういう人間とは会話をしたくないと思う人は多いと思う。

でも本人は気づいていないのでさぞかし生きづらいのだろうと思う。

幼児期に大変な目に遭ったのだろう。

同情はするが、必要以上の事は喋らないようにしないと地雷を踏むことになる。

こういうタイプを部下に持つ上司も大変だろうな。

という事で、幸せとか不幸とか言う事は、脳の癖が生み出すものであることが明白なのでありました。

まあ、不幸な過去を背負った人間を気の毒に思って助けてあげるのは人間として立派な事なので、耐えるのも人間形成にはいい事なのかもしれませんね。



    このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

僕も昔そうだったけど、相手の聞きたいことを答える前に別の可能性を言う癖があった。

ナゾの癖である。

これが、相手の方からするととてもうるさい。

例えば、

「丸の鏡と四角の鏡、どっちがいい?」

って意見を求められた場合、

「丸かな」

って答えると、

「四角の方は?」

と聞き返す。

じゃあ聞くなよなんて思うほどに回りくどい。

「でも〜だよ」

という癖も同じかもしれない。

分かり切ったことを何度も言うのも同じかな?

こういうことを言うときの心理は、全部言っとかないとあとで言わなかったじゃないかなんて責められるという恐怖があるのではないか?

僕にはそれがあった。

要は、話の流れをしっかりと掴めなていないというのが原因だと思う。

相手が何を求めているのか、理解できていない、もしくは理解しているという自信が無い。

とどのつまりは、適当に相手の話を聞いているという身もふたもない習慣であるのでありました。

よく理解できない時には聞き返すなりしてその辺を丁寧にしときたいものです。

雑なんですね。

それが伝わるから相手は腹を立てるのでしょう。

これは単に正確なのではなく思考の習慣なので、気を付けたいと思います。




    このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

昔うちが飼ってたニワトリ、餌を食べた後でも他のニワトリが来たらまた食べ始める。

つられて食べるのか、取られたら嫌なのでまた食べ始めるのかは分かりませんが。

とにかく、お腹が張っているはずなのにまた食べ始める。

これによく似ているなぁって思うのが、おしゃべりな人。

思いつくままに話題がころころ変わる。

会話中にテレビの音声から大谷選手のニュースが聞こえてきたら話題はいきなりメジャーリーグになり、選手の家族の話になり過去の頑張った話になり偉いとかいう話になる。

こちらは最初なんの話してたっけ?

なんて考えていたらいきなり話が戻って、そうそう、その話をしてたんだって思ってたらまた話題が飛んで大変なことになる。

これが延々と続いてこれを止めるには発狂するか沈黙するしかない。

そうなると、急に怒りだすとか怖いとか言われるので、最初から近づかない方がいいってなる。

かくして友達を失うのであるが、その原因に気づかないのがとても困るのであるが、それもその人の選んだ道なのであろう。

要は思考習慣なんだろうけど、恐ろしい習慣である。

さぞかし周りの人の勉強やら仕事を邪魔してきたんだろう。

とにかく静かにして欲しい。

    このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

昔、若い頃、洋服の青山に行ったら店員さんがくっついてきて何が欲しいか聞きまわるので閉口したことがあります。

実はしゃれたネクタイを買いたかったのですが、ゆっくり見られないので、そのまま帰りましたが、あの圧は凄かった。

ノルマは分かる。

しかしそれでは誰も近寄れないのではないだろうか?

ハエだって打とうと思って近づくと逃げていく。

逆に、何も考えていないとぶんぶんうるさく寄ってくるわけです。

このオーラというか圧というものが、商売にも影響すると思われます。

狙うと逃げる、そして不意打ち的にやってくるのがビジネスチャンスというものでありましょうか。

そこで必要なのが中庸というものではないかと思います。

時流や機運に乗らなければ上昇はできない。

僕は怪我をして身動きも取れず、社会的にはコロナの時期には何をやってもただ焦るだけで無駄でした。

焦ると要らんことをするので、時間もお金も無駄に使います。

流れに逆らわず、無い時は無いと割り切って、ただ無心に準備をするのが肝要かと思います。

そう考えると、三年寝太郎の作戦もあながち間違ってはいないぞ!

そのまま一生寝太郎でもいいじゃないか。

暇な時にはお寺に行って心を落ち着けるのもいいですね。



    このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

イギリスの伝説的登山家、ジョージ・マロリーは言ったという。

「なぜ、山にのぼるのか。そこに、山があるからだ」

好きな人には敵いませんね。

これと同じ原理がフェチの人々にも働いていると思う。

このサガというか、チャレンジ精神というかなんといえばいいのか分からない脳のシステムが釣りキチなどを産むのではないか?

彼らは別に下着が欲しいわけではないのかもしれない。

そこに達成感があるからチャレンジするのであろう。

でも、他人の物を盗むのはよろしくない。

持ち主を見て

「うえっ!」(失礼)

ってなる事もなく、ただ淡々と作業をこなしていくのが楽しいのか?

代わりにお金を置いていくという釣りキチもいないようであるから、やはり窃盗に喜びを感じているのであろうか?

盗撮やらナンパしまくるヒトビトも同じ原理で動いているのでしょう。

そういえば、バイクのシートのにおいを嗅ぎたがる整備士もいるようですが・・(吐きそうだけどフィクションらしいので安心した)

せめて、小銭を集めたり庭木を剪定するような人畜無害なフェチに留めておいた方がいいとは思うのですが、これは人によって違うのですね。

できれば仕事やごみ拾いといった有益な方向に向かうフェチならいいですね。

色々調べていたら釣った魚を売っている方を見つけました。

釣りキチ助平

でもなぜ助平?

    このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

ノーリスクでリターンが無限大なものって自分に投資することだってよく言われますが、ではどうのように自分に投資するのか?

その仕方が分からんのよって所が多々ある。

自分が何に向いているのかという事のみならず、何が好きなのかさえ分からないというのが、多くの日本人なのではないか?

これはお仕着せの教育の影響なのか、あるいは毒親の影響なのかは分かりませんが、自分の居場所は誰かから与えられるものだっていう前提というかイメージから発したものではないか?

または、限られたものをみんなで奪い合うとか分配しあうという発想からくるものなのでしょうか?

逆に、価値は自分が創造するものだという考えに至れば、自然と新しいものを取り入れながらどんどん作り出していこうとするのではないだろうか?

僕は、知らないものを学んで、やってみて、吸収し発展させて、今までできなかったことができたり価値を作り出していくのが成長だと思っているのですが、どうもこの辺が日本的な発想では弱いような気がする。

だから、

「自分に投資するって、何をすればいいの?」

なんて疑問が出たりするのかもしれませんね。

それは自分しか決定できないことだから、誰かに聞くのもおかしいとは思うのですが。

たくさんの知らないジャンルの事を調べて経験して、そこから得た経験や知識を応用していく事がやがてリターンを産むという事であれば、まずは読書からという事になるのかもしれませんが、それに加えて習慣的にしている反応を変えてみるとか、表情を変えてみるとか、色々試みるのも自己投資ではないかとも思います。

時々直面する嫌なことも、すっぱり切り捨てるとか忘れてしまうとか、その方法を編み出すとか、方法を考えてやってみるのも面白いんじゃないでしょうか。

1日1%変われば1年後には全然違う人になってる訳ですから、これはチャレンジしてみる価値がありそうです。

結局は、いろんな方法で頭のOSのアップデートをするのが自己投資なんでしょうね。
    このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

人を上に見ることが美徳とされる日本なのかどうなのか知らないけれど、他と比較してどうかという事がひたすらなされる日常。

周囲と比較して自信を無くしたり得意になったりして感情もアップダウンする。

だけれどそれには意味があるのか?

仮に誰かが優れているとしても、それは他の誰かと比べての事であって、それもまた今現時点でのことでしかないのではないか?

例えば今現在大谷選手が素晴らしい成績をおさめている現実があっても、それも誰かと比べての事だし、イチローさんが現役当時、その時点の大谷少年と比べたら当然イチロー選手の方が野球はうまい。

凄いの凄くないのというのは、今現在の誰かと、あるいは何かと比べての事に過ぎない。

今の文明が滅び去った後の時代には、今現在凄い誰かも全然すごくないのではないか?

今僕らが上下左右に勝手に揺さぶられている凄さというのは、条件付きの凄さであるのであるけれども、それに意味はあるのか?

あるいは命をかけたりする価値はあるのか?

それよりもっと大事なことがあるんじゃないのか?

そんなことを考えると、多くの時間を無駄にしてきたなぁと思うんです。

もっと人生を楽しめばよかったなんて後悔する前に、比較をやめた方がいいと思うのですよ。


    このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

1718173819615


先日図書館で、「経済指標のウソ」という本を見つけました。

今まで信じていた統計がいかにアテにならないものかという事が事例をあげて説明されています。

時々実施されている統計調査とか選挙時の出口調査とか失業率の調査とか街角アンケートとか、

前からアテになるんかいなって思っていた事が、やっぱり適当かいってあらためて納得した一冊でした。

沢山のデータを集めれば平均化して実情が分かるんだって言われても、答える方はけっこう適当にやってるし、集まったデータが

「こりゃまずい」

であれば選んで出して発表するっていうのは大体想像がつく。

それを元に法律が作られ社会が形作られてきたというのが現実の事であるらしい事は、昨今の社会情勢を見ると妙に納得がいきます。

それも報道されたデータに基づいているので自分の周囲が穏便であればどうという事でもないのでありますが。

結論は、自分で調べて自分の頭で考えろという事に尽きるんではないかと思います。

読んだ感想は、

「まじめに考えすぎて疲れてたけど、世の中はっこうテキトーにできてるんだな」

ってことでした。

面白いのでご一読をお勧めいたします。







    このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

口げんかになるパターンがある。

まず、細かい言い間違いを訂正された時。

「そいう事を言いたいんじゃないんだ」

って所から言い合いになる。

次に、何回も同じことを言う場合。

これは、

「何が言いたいんだ、くどいぞ」

と言うので文句を言ったら言い合いになる。

まあ、売り言葉に買い言葉でどんどん雪だるま式に喧嘩になって、

「このわからず屋!」

ってなっていく。

何が言いたいかというと、会話が多すぎるんだと思うのですね。

沈黙に耐えきれずに要らん事を話すから、自分でも分からんうちに嫌な気分になって喧嘩になるのです。

言葉が足りないのもいけないけど、言い過ぎはさらにいけない。

言った言わないでもめてる人々のいかに多い事か。

言葉って恐ろしいですね。

暴走した言葉は凶器を振り回しているようなもんです。

承認欲求はさらに恐ろしい。

問題になりそうになったらまずは黙りましょう。

これには僕なりの秘訣を持ってて、あ、これは暴走するなって思ったら、

「ち〇〇」

って言うようにしていますゥ。

ここで流れが変わるんだけど相手によっては問題になるので、心の中で、あるいは小さな声で言うとおかしくて笑顔になります(この雰囲気で突然微笑むと怖いかも)。

みなさんも、思わず微笑む自分なりの魔法の言葉を編み出してはいかがでしょうか。




注:〇の中身はなんでもいいんですが、正解は”ちげ”だとでもしておきましょうか(笑)。

    このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

何事もプラスとマイナスがあって、どちらもなければ成立しないというのは本で読んだ話。

もっともだと思う。

物質と反物質がくっついて無になるのであれば、どちらかが存在するためには反対側のものも存在が必要だ。

ということで、調子が上がるときもあれば下がるときも必要なわけで、ずっと平坦であれば退屈で仕方がない。

いつも気持ちよくいきたければ、気持ちの悪い時期も知っていなければいけない。

経験則が生きるところですね。

それを踏まえて、以前経営セミナーで聞いた、経営が順調な時に次の準備をしなさいという話を思い出した。

波は必ず生じるので、次の波になるものを準備するという事である。

ひとつのカテゴリー、商品で勝負するのではなく絶えず別のジャンルで準備をするという事だと僕は思ったのであるが、多分これは間違ってはいない。

順調ではない仕事を無理にごり押しするとそのままぶっ壊れるので、そっとしておいた方がいい事も多々ある。

暇な時には読書をする、人に会う、趣味に講ずる(でないと退屈で発狂しそうになる)。

それがそのうち効果を表してくるので、それが準備になるんでいい事だと思う。

要は先走りせずに、今やれることをやるだけなんだけど、これがまた難しいんですよね。

まずは座禅を組むのもいいと思う。





    このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

前から出張修理が好きで、案件があるととても嬉しくて受けさせていただいております。

最初の頃は、工具が足りないんじゃないかとか、夜まで直せなかったらどうしようとか考えて工場から離れて作業するのがとても怖くて嫌だったけど、現場でもどうにかできるという自信がついてきたら好きになってしまうとは怖いものです。

最近では鼻歌交じりにやったついでにその辺の写真を撮ったり散策したり。

感謝もひとしおです。

240603122638571
240603114442139
240603111930433


健康にもよさそうですね。

これからもよろしくお願いいたします♪

    このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

成功者はたくさん挑戦をしているらしい。

そして、たくさん失敗もしているとの事。

要は、トライ&キャッチを繰り返しているという事で、その中からスキルが身についたりチャンスを得たり、人脈ができたりしていくのだろう。

なるほど言われてみれば、なんにもしなければ何にも生まれない。

納得ずくでなければ行動しないというのでは、チャンスも経験も限定されてしまう。

そう言う事で、面白がってどこにでも首を突っ込むのはいい事だと思う。

そして、もう一つ成功者の特徴で、決めた目標に向かって飽きずにやり続ける事。

手段は選ばないけど、決めた目標は容易には変えないって言い換えた方がいいかもしれない。

いろんな手段を試みながらいつの間にかそこに辿り着いているというのが成功者ではないかと思う。

何を成功というのかは人それぞれだろうけど、もっとも心地よい状態に到達するのが成功というのだろうか。

その時その時にはなんだか一貫性のない人生を送ってきたように思うけど年を取って振り返ると

「自分はここに辿り着きたかったんだな」

なんて達観できるような人生を送りたいと思うのです。

というか、結果そうなる人が大半なんではないだろうか?


    このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

毎日だらだらテレビを見てると、なんだか腹が立ってくる。

それだけでなく、スマホのトップにニュースが出てくるとイラっとする。

これはまず間違いなく、報道というものが、無くなるもの、足りないもの、羨ましがらせるものを探してきては脚色し、大げさに、しかも何度の取り上げるからだと思う。

これはプロパガンダであって、洗脳であるといえばそうであると頷けるものだと思う。

だからと言って腹を立てなくてもいいだろうにと思うのだが、そこは人間の心理をうまく利用しているようで、どうしても乗ってしまうのが弱い所である。

という事で、僕は日ごろからテレビも新聞も見ない。

スマホのニュースもできるだけ見ないようにしているが、ブラウザの広告に出てきたりするので、そこもできるだけ見ないようにしている。

そうしていて、知らない間に変な法案が通っていたりすると嫌だなとは思うのだが、そこは識者に任せよう。

世の中がどうなろうと、要は自分が幸せな気持ちでいられればそれでいい訳で、それを目的に生まれて来たんじゃないかと思うのであります。



    このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

このページのトップヘ