サイキ整備Service

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2025年05月

先日、自分のハイゼットのオイル交換をしててやらかしました。

正確にはやらかしていたワケですが、何をやらかしてたかというと、オイルドレンボルトを締めすぎてた模様。

オイルを抜いて、ボルトを締めるときににゅるんって感触で最後まで締まらない。

外してみると、ねじ山がいかれてやがる!

ばかりか、アルミの削りカスが付いてきた。

代わりもないし、とりあえずシールテープを巻いてなんとなく締まる所まで締めて部品を取り寄せ。

よそ様はどうしておられるのかと調べてたら、なんと、締めすぎでダイハツのオイルパンのネジを痛めるケースが頻発してるんだそうな。

そういえば、これまでお客さんの車輛でやらかしたことは無かったが、

「ん?やばい、これ以上締めるのはやめとこ」

って思ったことはありました。

初の失敗が自分の車で良かった・・・

ともあれ、これまでは何となく経験と勘で締めてたけど、極めて危険な橋を渡っていたんですね。

早速トルクレンチを手配しました。

さて、ねじを痛めた場合の対策はというと、やや径の太いねじ切りボルトなる物が販売されているらしいというので、早速手配することにしました。

ボルトも長く使ってるうちに摩耗するとのことなので、ボルトだけちびることは無いとは思うけど、一縷の望みを託して純正ボルトも手配(この車は37万キロ走ってるんで何があっても驚きませんが)。

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ボルトが来て、改めて外して並べてみると・・・

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付いてたボルトの方が太い(そしてアルミ!)。

この車は、中古で購入して以来ボルトは交換したことが無いので、前オーナーの時にどなたかがやらかしてて、ねじ切りボルトに変えていたようです。

こうなると、オイルパン交換コースかぁ・・

なんて落胆していたんですが、ボルトがアルミならもしかしてボルトの摩耗もありうるし、見た目もねじ山が薄くなってるし・・と考えて計測してみる。

まずは、純正ボルトの径。

純正


11.7mm。

次に、付いてたボルトの径。

壊れた


12.0mm。

そして、新品ねじ切りボルトの径。

新品


12.1mm

ビンゴです。

0.1mmもあればなんとかなりそうです。

で、オイルパンのねじ山を掃除してそっとねじ込んでみると、やや抵抗を持ちながらゴリゴリと入っていく。

最後にきゅっと締まりました。

良かった。使えそうです。

この車、走行距離のわりにエンジン内部がきれいなんで、もしかしたら過去にリビルトに積み替えてるのかもしれません。

↓オイルキャップからのぞくとこんなかんじ↓

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リビルトであってもなくても、このきれいさだと、オイル交換は頻繁にしていたと思われます。

それ相当にオイルドレンはしきりに脱着されてきた可能性がありますね。

まあこれでしばらくはオイルパンの交換はしなくてよさそうだし、今後オイル交換で締め付けトルクを守る事を学習できたしで、よかったよかった。

オイルドレンボルトの締め付けトルクの話し≪ダイハツ車オーナー必見!







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ノストラダムスの予言ブームで乗せられた人も多い終末論ですが、あれに乗っかって得をした宗教もたくさんあった。

で、今僕は思うんですが、あれって、自分の寿命を計算に入れてないとああなると思う。

自分が発生して数十年、それから寿命まで数十年。

その間に世界の終末が来る確率はどれだけのものか。

数千年の文明の中で自分の生きてる間にそこに当たるとしたら、相当の確率である。

とどのつまり恐れているのは頓死であって、苦しみながら死んだりして寿命まで生きられないかもしれないという恐怖。

それを恐れさせて利用しようという組織があればそれはかなりあくどい事ではないだろうか?

輪廻転生があるとしたら、世界の終末が来ようが来るまいがどうでも良くなるわけであるので、そっちを信じればどうという事もない。

まあ、肉体の寿命が来ることだけは確実なのでそれは受け入れるとして、その他の分からない事は誰でも怖いので、どうせなら考えない方がいいんではないだろうかと思うんですね。

死ぬまで楽しければそれでいいんでしょうけどね。



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若いころから色々考える癖があって、とても苦しかった。

頭の中で、原因と結果を延々と繰り返す。

いいと思えることがあったら同じだけ悪い事が起こるのではないかと考えて怯えていたりした。

かといって、悪いと思えることがあっても次にいいことが起こるとは思えなかった。

それがいいと思っていた。

今思えば、怖かったのだ。

悪いことを回避するためにあえて悪い事を望むという悪循環。

しまいには宗教にまですがったが、そこでは脅しと支配が待っていた。

歳を取って一通りの事は経験して、何も考えないというのが一番楽だというところに辿り着いた。

そうやって、もうどうでもいいという心境に辿り着いたところで寿命が来るのだろう。

どうやって生きても、肉体である限りは寿命は平等にやってくる。

その前に不慮の死とかは嫌だけど、余計なことをしなければ危険も少ないのではないだろうか?

その時まで、ただ生きていられたらそれが最高だと思う。

それ以上もそれ以下もない。

感謝しながらただぼーっと生きられる事を望みます。
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