サイキ整備Service

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カテゴリ: ここはどこ?

大変優れたオーダーメイドAIですが、今回は少しとげのある以下の文章を丁寧に、やんわりとリライトしてもらいましょう。


勤め人の時に辛かったこと。

1.工具や消耗品が自腹

「軍手はひとり一日ひとつや」という社長のポリシーで、自分の使う軍手と部下の使う軍手は自分で買っていた時期がある。

2.現場に行くのに燃料代は建て替え

これも、行く前に燃料代をお願いすると、「なんでそんなにいるんや、動き方を考えてもらわなにゃ」という社長のブロックで、必要だったものだけレシートを持っていくと払うというシステムになった。
このため、小遣いのない時にはお客さんに分けてもらわないと現場から帰社できないという事態に陥ったこともある。

3.半年ごとに呼び出されて、社長が俺の息子は凄いというマウンティングと共に売り上げが足りないと言ってくるが、よく見ると支出はこちらの部署の分は殆どないのが分かった事。

4.時折給与明細が見えるように置かれていて息子さんの給料が自分の1.5倍あるのが見えた事。

5.社長や息子さんが仕事中にやってきて、なにをなぜ修理していてどうやっているのか説明を求められるのに答えて、それに対してこうしたらいいって言われて関係ない所をばらした挙句に、僕は用事があるからって帰った後に本来の修理を始めなければならない事。

6.修理に(特に部下がした)失敗した時に怒られたり嫌味を言われること

イレギュラーは必ずあるし、部品を取り替えてみないと分からないケースがあるので、言っても仕方がないのに怒るから、難解な仕事には最初から手を出さない方がましだと思う事がしばしばあった。

まあ、地獄でしたね。

個人事業だと仕方のない事だけど、最後に無理して死んだら元も子もないので、似たような環境の人は早めに逃げ出した方がいいと思います。


これがどう変わるのか?

AIによる補正は、こうなりました。


勤め人の時に辛かったこと。

1.工具や消耗品を自腹で買わなければならなかったこと。

社長の方針で、「軍手は一日一つずつ」ということで、自分と部下が使う軍手は自分で買う必要がありました。

2.現場に行くための燃料代は自己負担でした。

出発前に燃料代を頼むと、「なんでそんなにいるんや、動き方を考えてもらわないといけない」と社長にブロックされることがあり、必要なものだけレシートを持っていくと支払ってもらえるシステムになりました。そのため、小遣いがない時にはお客さんに協力してもらわないと現場から帰社できない事態になったこともありました。

3.半年ごとに呼び出されて、売り上げが足りないと言われ、社長が自分の息子は凄いとマウンティングする一方で、支出はこちらの部署の分はほとんどないことがわかりました。

4.時折給与明細が見えるように置かれていて、自分の給料よりも息子さんの給料が1.5倍あることがわかったこと。

5.社長や息子さんが仕事中にやってきて、修理中の進行状況や方法を説明するよう求められるが、それに対して「こうしたらいい」と言われ、関係のないことを話した後に、僕は用事があるからと帰ることになり、本来の修理を始めなければならなかったこと。

6.修理に(特に部下がした)失敗した時に怒られたり嫌味を言われること。

イレギュラーな事態は必ず起こりますし、部品を交換しないとわからない場合もありますので、言っても仕方がないのに怒られることがあり、難解な仕事には最初から手を出さない方が良いと思うことがしばしばありました。

まあ、地獄でしたね。

個人事業であれば仕方のないことですが、最後に無理をして命を落としてしまっては元も子もありませんので、同じような環境の方は早めに逃げ出すべきだと思います。


僕の文章が完璧なせいかどうかは分かりませんが、あんまり変わりませんね。

偉い偉い♪

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前に奥さんが野菜ジュースにはまったことがあった。

何かの本で読んだらしい。

野菜をたくさん入れて、セロリ臭いものであった。

痩せるらしい。

臭いので、息を止めて一気に飲まないとかなりきつい。

これを食前に飲む。

何か月か続けてみたが、一向に痩せない。

痩せるわけがない。

飲んだ後に普通にご飯も食べるし間食もするからだ。

調べてみると、これを食前に飲むと食欲が抑えられて、痩せるのだそうだ。

全然食欲も減らないし、ストレスで間食をし、ルーティンワークとして食事をしている自分としては、食べる食物に飲む野菜が増えただけという事であった。

それはそれで健康的なのであるとは思うのであるが、量と重量は確実に増えている。

いい野菜をと言いながら買う野菜は高いものを選んでいる様子で、止めても聞かないから稼ぐ端からセロリに変わっていく僕の給料が気になってストレスは益々増えていった。

この無間地獄から解放されたのは、事故で退職してから。

収入が減ったので、やむなしに節約が強制されたからだ。

セロリのために牛馬の如く働くラットレースから降りられたのはまさに事故のお陰でありました。

「お金の使い方は家族が教えてくれるであろう」

とは、ナポレオンヒル博士の”思考は現実化する”に(多分)書かれてありましたが、ほんまやね。

「あなたの健康のためよ」

とか言いながら引きずられていく構造は宗教の勧誘と同じ構図なのではないか?

とさえ思える。

自分の意識外で出ていくお金がこんなにも辛いものでああるのかという、重大な現実を教えてくれた事例でありました。















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刑事ドラマとかでよく見る光景。

犯人に、

「なんであんなことしたんだ?」

って聞くシーン。

なんでって、

「したかったから」

以外には、

「させられた」

しかないように思う。

なんとなくやったってのもあるか?

とにかく日本社会は理由を聞く。

聞いてどうするのか?

「責任の所在は?」

「どうすれば避けられるのか?」

といった議論になる。

今後改善してよりよい社会にって建前なんだろうけど、結果、責任のなすりあいみたいな非常に息苦しい社会になっていないだろうか?

誰かのせい、何かのせいにすることで、責任逃れした人たちはいじめともとれる叩きあいに参加する。

行き過ぎて誰かのせいにしないと収まりが付かなくなると、えん罪で捕まる誰かを血祭りにあげる。

理由もなく、ただそうなったという事もあるだろうに。

チューンもやりすぎるとどこかに無理が来て車も壊れます。

この辺、もう少し緩やかになりませんかね。




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中野信子さんの「脳の闇」を読んでて、大変つらい思いをした。

それは、171ページからの「一番安いものを選ぶタイプ」という所に心当たりがあったからだ。

なんでも好きなものを選んでいいよと言われたら、一番安いものを選ぶ傾向がある。

それも、相手に迷惑をかけないようにと思っての事だ。

子供のころの記憶では小学生の時叔母に、おもちゃで好きなものを選んでいいから買ってあげると言われて高いのを探していて、

「そこまで高いのは買えない」

と、とがめられた記憶があるので、そのあたりまではそうでもなかったものと思われる。

その後、だんだんと迷惑をかけないで生きる癖がついたのはなぜだろう?

誰にも迷惑をかけたくないと思うあまり、学校でも職場でも居場所がないと感じるようになった。

元は家庭なんだと思うが、そのあたりのエピソードははっきりしていない。

この本の文章にある通り、強く言う相手には逆らえず、後でこっそりと仕返しをするという陰湿な性質が身についているように思う。

学生のころは、強引な訪問販売のセールスマンに高いステレオを買わされ、先輩にそれをとがめられると電話で断り、電話口でクーリングオフはできないと言われるとまた承諾し、今度は部屋にいないようにして受け取り拒否で配達の人に迷惑をかける。

まあ、思い出しても恥ずかしい時期を過ごしました。

強引な宗教の勧誘に引っ掛かり、就職にも失敗し、どの職場でも自分の居場所が無いと感じているところに怒られるとすぐに辞めてしまう。

いや、迷惑をかけてしまったという罪悪感から自分を責めて、そこにいられなくなるんですね。

その思考がぐるぐる回る。

自分が何をしたいのか全く分からないままに人生を送ってきた割には、今では欲しいものは全部得てきたと思える状態になったと思っています。

一体何が変わったのか?

子供のころの写真を見ると、チックのような、いつも辛そうな表情をしている。

心当たりと言えば、大学時代の同級生で笑顔のいい奴がいたのでそれを真似てみた辺りから。

家を離れたのが良かったのかもしれません。

その後も一番安いものを選ぶ修正と、疎外感と迷惑をかけてはいけないという感情は続いていたんだけれど、退陣時の表情だけは変わりました。

そのうち、相手の反応が、自分のイメージと違う事に気づき始める。

なんか、自分って、意外と好かれてるんじゃないか?

なんて思い始める。

自分が与えるお金がでもなく、物でもなく、サービスでもなく自分を気に入ってくれている人がいた。

そういう事に気づいて変わり始めたように思います。

条件付きで許されていた存在が、無条件で存在を許される自分になったんだと思います。

中野さんの本を読んでいると、中野さんも含めてそういう自己イメージを持った人と言うのは多いんじゃないだろうかと思いました。

昭和という人を物あつかいしていた時代ははるか昔。

新しいサイクルに突入した今の時代にあった人生を送りたいものです。

迷惑かけたって、自分もそうしているように、そんなの人はすぐに忘れます。

生きたいように、じゃんじゃかいきたいものですね。























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最近、部品やら技術の事で問い合わせをすると、塩対応の所が多いように思います。

僕の聞き方が悪いのかわかりませんが。

そんなに仕事が面白くないのかなぁ・・?

なんて思うときもあったりして。

いや、前はなんでも聞いてくださいとか言ってたよな??

ホームページにも書いてあるしなぁ・・

なんて言ってても埒があかないんだけど、あんまり塩対応だと嫌になってしまう。

言い方があんまり酷いと、

「あんた専門じゃないんか?」

なんて言いたくなるようなケースもあるけど、そういう所はどうせうまくいってないんだろうし、分からないから怒るんだろうし、相手にしてても時間の無駄か・・

聞いた僕がバカでしたという事で、おさめなきゃどうしようもありませんね。

そのうちサービスのいい外資系が出てきてお客さんをさらっていくのでしょうね。

人をあてにするとは、僕もまだまだ甘いんですけどね。



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子供のころ、祖母に預けられて、母が仕事に行くのを後追いしていた。

それが原因か分からないけれど、未だに置いて行かれるという恐怖が心のどこかにある。

誰にも相手にされなくなるんじゃないか?

無視されていないか?

変に見られてないんじゃないか?

そんな事ばかり考えて生きていた。

結果、八方美人的な、悪く言えば人の言いなりの人生を送ってきた。

これが今になって役立っているのだが、気にしすぎる事の方が却っておかしいという事に気づくまではかなり悩んでいた。

今から振り返るとどうしてそこまで承認欲求が強かったのか考えるようになり、幼児体験のあれか?

という所に行きついた次第であります。

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昔、自分がいた会社の社長と従業員である社長の義理のお兄さんが対立したことがある。

在庫のワイパーブレードを縦に置くか横に置くかで。

どっちでもいいことだと思うんだけど、言い合いになって二人ともどこかに行ってしまった。

そのあと適当に置いたんだけど、誰も何も言わなかった。

実に人間とはつまらないことで対立するものであると思った。

あれはどういう原理で起きるのか?

国家からSNSに至るまで、多分そういうつまらない事でいさかいが起きてるんだろうな。

なにか許せないことがあるときにはなんでそんなに気に入らないのか、自分をよく吟味してみようと思います。
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人間、生きてたら不安はぜったい出てくるもんだと思っていたんですが、それが無い人もいるらしい。

そして、不安のもとは未来を考える事と関係があるらしい。

”過去は後悔未来は不安”

ってホリエモンが言ってましたけど、今この時だけを考えて丁寧に打ち込んでる人には不安は無いらしいです。

言われてみれば、そうかもしれませんね。

起こりもせんことを考え続けると、手に負えませんからね。

いや、絶対そうなるだろうと思っているようなことでさえ、その通りにはならない。

死以外は。

死だけは絶対来るんだから、そこまで行きつくと死後はどうなるんだとか、自分が失われるのが怖いだとか、またまた自分にはどうしようもない事ばかりがリフレインされてきます。

もとより過去は過ぎ去っていてどうしようもない。

要するに自分のコントロール下にあるのは今この時、目の前にある物事だけで、しかもそれに対して自分がどう感じるか、どう思うか、どう反応して行動するかだけ。

極めて狭い範囲にある自分のコントロール下にあるものに集中しないでコントロールできないものに目を向けるんで不安になるんですね。

しかも、今コントロールできる物もすぐに過ぎ去ってしまう。

「ああ、あれやっときゃ良かった」

なんていうぐらいなら、貴重なこの時間、今目の前にあるものにベストを尽くすべきではないか?

ベストを尽くしていれば、あの状況ではあれ以上はできなかったんだから仕方がないなって納得もできる。

いつも、今この時に打ち込むなら、不安を感じる暇もありませんしね。

今この時に気を込めて、ベストを尽くして生きる。

満足して生きるにはこれしかないと思います。








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物事には理由がない

これ、けっこう衝撃的な事実でした。

なぜ今までこれが分からなかったのか?

何か理由があるなんて思いこむ理由などないのに。

無い理由を探すから悩むのであって、無駄な自分探しを続けてきました。

理由がないんなら自分で理由を作ればいい。

これ、かなり楽な考え方です。

生きてていい理由も生きてちゃいけない理由もない。

生まれてきて、気づいたら生きてて死ぬのも嫌だから今まで生きている。

ただそれだけ。

誰かが作った社会のルールというものがある。

それには理由がある。

自分が生まれて生きてこられた理由もある。

誰かが養い育ててくれた理由もある。

だけど、自分が成功できない理由なんてない。

もちろん、失敗する理由もないのである。

成功する理由を作るなら、そのための目標を立て行動すればそれが理由になる。

まあ、そういうことにやっと気づいたわけであります。

なんでこうなったなんて理屈を考えないで、今あるをそのまま受け入れるのも大事なことなんじゃないかな?

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FXではどうしてもコツコツドカンで増えない資産。

色々勉強してみましたが、相場の向こう側の人(システム?)もそれは知ってます。

結局、チャートを基に自分で対策を立てるしかない。

要は、下図の赤丸の所で買いで入ればいい。

タイトルなし


上がった所で売りです。

これを繰り返せば資金は増えます。

当たり前です。

でもこれができない。

あらゆる誘惑や感情を消して、マシンと化して相場がドンと変化した所で即行動です。

1
2


↑この瞬間を掴めるか?

これでもまだ、2段落ち3段落ちがあるかもしれない。

ああ恐ろしい。

なんて思いながら、減った分は参加料と割り切って淡々とやっていくしかないのでしょうね。

なんでそこまでやる?



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昭和の学生というものは、汚いものでありました。

↓こういうところに住んでいた。



いや、ここまで行くのは当時も珍しかったのですが。

どん底を楽しんでた感じ?

当時は戦後の引き上げ住宅なんかもありましたんで珍しくもありませんでしたね。

荒んではいても希望もあったって感じでしょうか。

まあ、これからの日本はV字回復するんでしょうけど。
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会話が続かない時のパターン。

共通の話題がない。

関心事が違うと話が合わせられず、沈黙化する。

これは別に不愉快ではない。

次に、会話を独占しようとするパターン。

片方が一方的に話し続ける。

こちらは相槌を打つだけでいいけど、長くなるときつい。

次は不快なパターンで、相手の話を自分の意見であるかのように被せてくる。

「だから〜」

「言っているように〜」

こういう切り返しから、こちらの言ったことを繰り返して話し始める。

更に指示型。

「こういうようにしたいと思うんですよ」

って言うと、

「ああ、そうしてください」

と返ってくる。

このパターンで、最初の「このようにしたいと思うんです」というこちらの言葉が実はこちらの自発的な言葉じゃなくて、ホウレンソウを求められて仕方なく言ってたりスルとかなり不快です。

何故なら、適当に言った事でも、後で「あんたが言ったことじゃないか」なんて言われてやらなくちゃならなくなるので。

「そんなこと分かっとるわ」

みたいな、言わされた事をバカにされるとまだ腹が立ちますが。

まあこういう返しをすると、会話自体をしたくなくなるので、逆のことをしてあげると楽しい会話ができると思います。

基本は受容ですね。

相手の言葉には、まずは一言、

「そうそう、そうなんですよ」

っていう切り返しがいいと思うんですよね。

それと、今まさにトイレに入ろうとしているときとか、忙しそうにしている時には話しかけるのは控えましょう。




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「黙っていれば賢く見える」

お喋りしすぎて得た教訓。

時々、知人がなんでそんな事を知ってるの?

って思った事があったんですが、聞いたら「自分が言ってたじゃん」って返事。

自分が言っとる!

喋りが過ぎて、内容がなくなり、遂に秘密まで白状しておりました。

無意識の恐ろしさであります。

どんなポンでも、黙っていれば相手が勝手に想像してくれる。

マスクをしてれば勝手に想像して美人にしてくれる。

反応しなければ手の内を見られることもありません。

ほっといたら向こうから勝手に動いて、しくじってくれることもあります。

勝手に補完してくるのは人間の脳の特性だからでしょうね。

しかも、他人の物はよく見えるという特性と合わせて考えると、すぐに動かず黙っているのはかなり得だということになります。

今後は、この作戦で行ってみましょう。




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ライフストレテジー

読みました。

人生の責任は自分にある=自分でコントロールできる

という考え方はちょっと衝撃。

今の結果は過去に自分が決定した事の結果であるといわれれば確かにそうですが、その過去の決定はどうして行ったのか?

それは、子供の頃に築いてきた脳内の感じ方であるのですね。

そこで、自らの人生を振り返ってみる。

まず僕の場合、親が仕事に出てたからお婆さんしかいなかった。

前にも書いたけど、そこでの環境は、宗教の話とお婆さんの何かを成し遂げたという自慢話と過去の話でありました。

これに加えて毎日の肩もみ腰もみ足もみで、これを行うとあなたは優しいと言われ、断ると反抗したのでショックを受けたといった感じでした。

それがそうだったかどうかは分かりませんが、僕はそう捉えていた。

逆らうとそれをなぜか母が知っていて、

「あんたが大きくなれたのもお婆ちゃんがいたからだ」

という話がなされる。

こういう環境が18歳まで続くと、脳にどういうプログラムが組まれるのか?

○ 人が話をし始めたら最後まで聞く

○ 相手が傷つくので、それを遮ってはいけない

○ 人には道具のように自分を差し出さなければいけない

○ 拒否すると相手が傷つく

○ 逆らうとみんなが敵に回る

○ 報酬は期待してはいけない(これは特に宗教話で強化された)

=自分の存在意義は周囲の人の道具である事である

改めて書き出してみると、けっこう地獄じゃないですか!

2世問題が取り沙汰されてる昨今ですが、僕にも身にしみて分かります。

これが人生にどういう影響を与えたかというと、

○ 上司やお客さんの話が始まったらいつまでも自分の仕事に取りかかれない

○ 自分の意見が言えず職場に居づらいのですぐ退職するか社畜のような環境に甘んじる

○ お客様に請求できない(しずらい)

○ 上記の要素が理由で話ばかりする安いとか無料で何かを要求する人間が近づいてくる

まあ、子供の頃の環境を再現しようとしてますね。

このプログラムを書き換えるためにはどうすればよいか?

更には、このプログラムで生じているいいところ、例えば忍耐強く話を合わせることができるので、サービス営業には向いていたりしますが、それをどうやって残すか?

それはこれからの課題ではありますが、兆候に気づいたところで「そうでもない」って修正するとかやってみるようにしてみます。



















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自分が変わらないと、同じようなタイプの人間が何度も出てくるらしい。

自分の場合、横で語りかけてくるやつが何度も出てくる。

人生の最初期には、うちのお婆さんがずっと宗教と死んだお爺さんとあんたのお母ちゃん(=自分の娘)の話、そして自分が成し遂げたという僕にはなんの意味もない話を語り続けていた。

上の空で聞いてるふりをしていたのだが、時々意見を聞いてくるので大変だった。

これが人生の型になったのか、周りのやつに相槌を打ちながら仕事や趣味をこなすマルチタスクな習慣が身につき、それがお喋りを惹きつけるのか、ずっと喋るやつが周りにいる。

お陰で寂しくないんだけど、それがきつい。

仕事にも趣味にも十分打ち込めない。

上の空で返事してたらズバッと突っ込まれる。

だから、会話したくないんだってば!

寡黙なプロフェッショナルになりたいのに無意識に応えるもんだから嬉しいらしい。

無意識に相槌打つクセをやめないと、責め殺されそうである・・・
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なぜか心惹かれる廃墟。

マニアの方々がいて、けっこう盛り上がってる模様。

こういうサイトもあって、ちょっとうれしい。

廃墟展なんてのもあるんですね。

滅びの美学っていうやつですか。

時間が止まった感覚って、なにか落ち着くんですよね。

自分の原体験に帰ったというか、懐かしい感じがいいのかもしれませんね。

いずれ自分も死ぬのだから、一足先に自然に帰った先輩を懐かしむような、そんな感覚もあるのかもしれませんね。

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子供の頃、うちの婆さんがいつも独り言を言ってました。

というか、同じ話ばかり語りかけてくる。

今は奥さんが語りかけてくる。

お陰でじっと、考えることができない。

家に仕事を持ち込んでる自分も自分だが、フリーランスを目指す自分にはちょっと辛いかな?

が、今の環境は自分で引き寄せるものらしいので、たぶん僕の反応が語りよくさせているんだと思う。

いちいち返事してるのがそれなんだろうな・・

子供の頃、相手の話はきちんと聞きなさいってお婆さんが仕込んでくれてたんだろうな。

お陰で人には好かれます・・
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学生時代、熊本出身の図々しい同級生がいた。

部屋にいきなり入ってくる。

布団を持ち込んで泊まり込む。

寒いといって冷たい足をこっちの足にくっつけてくる。

怒ってもめげずにやってくる。

今でいうと、ストーカーである。

ある時ヤツがきたので隠れていたが、なかなか帰らないので我慢できずに逃げ出したら追いかけてきた。

それを見ていた友人曰く、「なんか、自分から出ていってるみたい」。

そう、それが真実だ。

これには心当たりがある。

また祖母の話になるのだが、ずっと語りかけてくるのでうるさいから冷たくしたらシュンとして、かわいそうオーラを発散ながら「お婆ちゃんが悪いんじゃないろう?」としきりに語りかけてくる。

しつこくてうるさいから別の理由を適当に言ってそうじゃないって事を述べると落ち着くのか、また語りかけモードに戻る。

これが延々と繰り返されてきた。

これをして、僕は優しいんだということになった。

でも多分婆ちゃんは鬱だったんじゃないかと思う。

でも僕の習慣に、

うるさい奴には黙って耐える。

嫌いでも話を聞いてやる。

衝突しても、そいつのせいではないことを勝手に説明して問題が大きくならないようにする

というのが出来上がった。

学生時代のストーカーにも、後々めんどくさいことになったら嫌だから、そろそろ出ていってやるかって心理になるのだ。

でも嫌いだから逃げていくという妙な行動になる。

因果なもんである。

以降、僕の人生において絡んでくるやつが必ず出てくる。

絡まれて、嫌になって、逃げたら追いかけてきてめんどくさくなってまた戻る。

コレの繰り返しである。

曰く、僕が優しいからだそうだ。

違う。めんどくさいからこうなるのだ。

どうしたらこのスパイラルから逃れられるのか、誰か知ってたら教えて欲しい。



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安倍さん襲撃事件で、統一教会の問題が浮上したわけですが、これと同時に顕在化したのが宗教2世問題でした。

何が問題かといえば、犯人の心境が理解できるという人が多いということでしょう。

僕もお婆さんと母が宗教をやってきた為に、なんとも言えない気持ちになりました。

家族、特に子供よりも宗教活動に重きをを置く。

生殺与奪の権を握られている子供には、為す術もない。

よくわからない価値観に虐げられて、得も言われない怒りが心に溜まっていきます。

社会に出てみたら、みんな違う価値観で生きている。

理解できない環境で生きていかなければならない辛さは得も言われないものがあります。

特に今のような社会では、生きづらさもひとしおではないかと思います。

そんな中、あの事件が起き、ああいうやり方はいけないという理性と、ああいう方法で感情が暴発することもあるかもしれないということも理解できるという複雑な思いの交錯。

こういう肌感情から起きた違和感が、なんともいえない気持ちを生み出したのでしょう。

僕の中にも何が悪かったのか分からない混乱が生じています。
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最近読んだ本。



毒親とは即ち、子供を搾取する親のことである。

子供は他に生存する手段がないので、ただそこで耐えるしかない。

この洗脳は、大人になっても解けることなく、

「親は悪くない、自分が悪いんだ」

と解釈される。

ブラック企業でどんなに頑張っても報われない社畜と似てはいるが、社畜にはまだ他の会社で働く可能性が残されている。

子供にはそれがない。

残酷な現実だけど、昔のように間引きされないだけましという理屈のもとにただ耐えるしかないわけである。

この本では、閉じ込められた過去の記憶に直面しなければ解決できないということが度々出てくる。

出口があるだけありがたいのであるが、当人には大変なストレスであろうと思われる。

でも、気づいたときが出発点である。

この本でもなんでもいいから一人でも助かる人がいればと願います。










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