サイキ整備Service

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カテゴリ: 持論

かつて狂ったように働いていた時期があって、ずっと考えておりました。

「仕事とは、働くとはなんだろう?」

昔、ベンチャーの社長がこう言っていた。

「働けば働くほど赤字になる仕事があります」

という事は、働く=お金を稼ぐ・・・ではない。

報酬無しで誰かのために何らかの行動を取るのは、働くという事ではあってもボランティアという事か・・

コロナ以降は違ってきたと思うけど。日本では「働かない」という事が恥とされていた。

働いていない意地悪な近所のおばさんほどこれを言って誰かを責めていたように思う。

それはともかく、家でゴロゴロしててなんらかのアクションを起こさない人をなまけものと責める事で自己満足に陥るケチな集団心理かから出た言葉遊びではないかという事で結論が出たのであります。

それとも、戦時中の隣組とか軍隊教育の影響の方が大きいかな?

そんなにガツガツしても結果があ出るものでもないし。

何かしていないとそわそわするといのも、もはや時代遅れですね。






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僕は、悩みが出てきた時には、ちょっと立ち止まって考えるようにしています。

そして、自分の心の中を探ってみる。

そうすると、動かせないと思っている何かが必ずある事に気づきます。

例えば誰かを怒らせた時には、

何か悪い事をしたんだろうかとか、言い方が悪かったとか悶々と考えがちですが、

実はその根底には今後も怒らせた相手と付き合っていかないといけないのに支障があるので困るとか、仕返しされるかもしれないので怖いとか、別の動機があったりします。

この時、動かせないと思っているのが、その人との付き合いです。

今後一切かかわらないでいいのなら、相手が怒ろうがどうしようが関係ないはずなので。

いわば、表面的な事で悩んでいるのに根っこの感情には気づいていない。

付き合うのをやめるなり逃走するなり、いつでも嫌な相手とはすっぱり縁を切れると思ってしまえば大胆な行動だってとれるようになります。

心を病んで死ぬより、投げ出した方がいいですよね。

この考え方は、メタ認知ってやつにも似てると思う。

一旦どうでもいいと思えるようになると、意外とうまく行ったりするので、これはいいやり方ではないかな?

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量子力学とスピリチュアルに関心があったので買いました。

タイトルなし


「タフティ・ザ・プリーステス 世界が変わる現実創造のメソッド」

今まで読んできた本と色々重なる所があります。

全部合算してなるほどと思えれば、潜在意識に入ったものと思われます。

中でも、台本に逆らわないという所はグッときました。

昭和の根性論では、無理やり現状を打破するという台本にガチ逆らう方法で、これでは満身創痍になる割に現状は変わらないどころかもっと悪くなるという事は分かっていた。

更に、流れに乗るには逆らわずに待つ事が大事と思っていたけど、この本は過去と今の台本には逆らわずに先の台本を選択するという教え。

何度も読むともっと凄い言が起こりそうです。

もっと何度も読もうっと。
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過去に何人か、どう考えても子供みたいなことを言う上司がいました。

しかしながら、立場上とか見かけとか経歴からなにかこれにはもっともな意味があるのではないかなんてかってに解釈して、まじめに取り組んで悩んでいた。

できるわけのない事を

「これぐらいなんでできんのや」

って言われてもできる事なのかどうか誰にも分からないくらい凄い事であったり、

「僕はできていた」

なんて言われてああそうかなんて今から思うとバカみたい。

月5万円あったら生活できますよなんてそれを僕に強要する宗教バカ。

反論すると、

「私はやってきました」

なんて言うけど、それは僕とは関係ないし、あんたが勝手にやればいい事だろうと思う。

要は、誰かを自分の支配下に置きたいだけの我儘なんだけど、言う事を聞かなければ子供のようにかんしゃくを起こす。

うるさいから仕方なく言う事を聞いたらあとはどんどん要求が増えてくるのでありますね。

僕はたまたま宗教家の家庭で育ったからこういう人が多かったのかと思っていたら、なんだか世の中の上から下までこれで満たされているような気がします。

こういう人が現れたら、視界から消えるようにして取り合わないし、あなたのためよなんて寄って来る奴には人の事はほっとけなんて今では思っておりますが、若い頃はそこまで思えないんですよね。

いつか分かってくれると思ったこともあるけど、分かってくれたところでメリットもないし、そもそも分からなのがそういう人なのであるんですね。

本当に助けが必要な人を助けることは大事だとは思いますが、人を甘やかしすぎるとろくなことにはなりませんね。

バカの研究
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体力と引き換えにして歳を取ると色々分かることもあって、これは実は若いころからの蓄積の産物であったりする。

その中でも達観した事の一つに、安定と生きがいというものがあります。

安心安定した生活を求めるのは人の常であると思うのですが、同時に「ここではないどこか」に行きたいという欲求がある。

それを転職に求めたり旅行に求めたりするわけですが、行った先でもまた「ここではないどこか」を探し始める。

常に進歩を求めているといえば聞こえはいいけれど、結局は無いものねだりで終わるような気がする。

それは何かという事を考えていたら、何かに向かって動く、努力するという事を求めているのではないかという事に気づく。

とどのつまりは、そこで出るアドレナリンとドーパミンが心地よいだけなんではないだろうか?

ただ単に、その状態を求めてさまよっているのが人間というものなんでしょう。

意図的にこの状態を出せればいいんだけど、これがなかなか難しい。

趣味があれば趣味に没頭し、仕事が好きなら仕事に没入するのが一番手っ取り早いのだけれど、そこに至るまでには時間とお金がかかる。

それが達成される時期というのが歳をとった頃であるのではないだろうか。

若いころから色々好きなことを試して行動できれば最高なんだけど、生活が追いかけてくるようではそうもいきませんしね。

こういう思い込みも無くすほどに脳内ホルモンの出ることに没頭できればいいのでしょうけれどね。

まあ、僕の経験としては、若いうちから運動と読書、そして瞑想の習慣を身に着けるのが一番いいように思います。







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無くて七癖シリーズ第二弾。

ひがみっぽい精神。

何か指摘されると、嫌な感じに聞こえるらしい。

すぐに機嫌が悪くなって

「嫌味な感じ」

と返事をする。

こういう人間とは会話をしたくないと思う人は多いと思う。

でも本人は気づいていないのでさぞかし生きづらいのだろうと思う。

幼児期に大変な目に遭ったのだろう。

同情はするが、必要以上の事は喋らないようにしないと地雷を踏むことになる。

こういうタイプを部下に持つ上司も大変だろうな。

という事で、幸せとか不幸とか言う事は、脳の癖が生み出すものであることが明白なのでありました。

まあ、不幸な過去を背負った人間を気の毒に思って助けてあげるのは人間として立派な事なので、耐えるのも人間形成にはいい事なのかもしれませんね。



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昔うちが飼ってたニワトリ、餌を食べた後でも他のニワトリが来たらまた食べ始める。

つられて食べるのか、取られたら嫌なのでまた食べ始めるのかは分かりませんが。

とにかく、お腹が張っているはずなのにまた食べ始める。

これによく似ているなぁって思うのが、おしゃべりな人。

思いつくままに話題がころころ変わる。

会話中にテレビの音声から大谷選手のニュースが聞こえてきたら話題はいきなりメジャーリーグになり、選手の家族の話になり過去の頑張った話になり偉いとかいう話になる。

こちらは最初なんの話してたっけ?

なんて考えていたらいきなり話が戻って、そうそう、その話をしてたんだって思ってたらまた話題が飛んで大変なことになる。

これが延々と続いてこれを止めるには発狂するか沈黙するしかない。

そうなると、急に怒りだすとか怖いとか言われるので、最初から近づかない方がいいってなる。

かくして友達を失うのであるが、その原因に気づかないのがとても困るのであるが、それもその人の選んだ道なのであろう。

要は思考習慣なんだろうけど、恐ろしい習慣である。

さぞかし周りの人の勉強やら仕事を邪魔してきたんだろう。

とにかく静かにして欲しい。

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昔、若い頃、洋服の青山に行ったら店員さんがくっついてきて何が欲しいか聞きまわるので閉口したことがあります。

実はしゃれたネクタイを買いたかったのですが、ゆっくり見られないので、そのまま帰りましたが、あの圧は凄かった。

ノルマは分かる。

しかしそれでは誰も近寄れないのではないだろうか?

ハエだって打とうと思って近づくと逃げていく。

逆に、何も考えていないとぶんぶんうるさく寄ってくるわけです。

このオーラというか圧というものが、商売にも影響すると思われます。

狙うと逃げる、そして不意打ち的にやってくるのがビジネスチャンスというものでありましょうか。

そこで必要なのが中庸というものではないかと思います。

時流や機運に乗らなければ上昇はできない。

僕は怪我をして身動きも取れず、社会的にはコロナの時期には何をやってもただ焦るだけで無駄でした。

焦ると要らんことをするので、時間もお金も無駄に使います。

流れに逆らわず、無い時は無いと割り切って、ただ無心に準備をするのが肝要かと思います。

そう考えると、三年寝太郎の作戦もあながち間違ってはいないぞ!

そのまま一生寝太郎でもいいじゃないか。

暇な時にはお寺に行って心を落ち着けるのもいいですね。



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ノーリスクでリターンが無限大なものって自分に投資することだってよく言われますが、ではどうのように自分に投資するのか?

その仕方が分からんのよって所が多々ある。

自分が何に向いているのかという事のみならず、何が好きなのかさえ分からないというのが、多くの日本人なのではないか?

これはお仕着せの教育の影響なのか、あるいは毒親の影響なのかは分かりませんが、自分の居場所は誰かから与えられるものだっていう前提というかイメージから発したものではないか?

または、限られたものをみんなで奪い合うとか分配しあうという発想からくるものなのでしょうか?

逆に、価値は自分が創造するものだという考えに至れば、自然と新しいものを取り入れながらどんどん作り出していこうとするのではないだろうか?

僕は、知らないものを学んで、やってみて、吸収し発展させて、今までできなかったことができたり価値を作り出していくのが成長だと思っているのですが、どうもこの辺が日本的な発想では弱いような気がする。

だから、

「自分に投資するって、何をすればいいの?」

なんて疑問が出たりするのかもしれませんね。

それは自分しか決定できないことだから、誰かに聞くのもおかしいとは思うのですが。

たくさんの知らないジャンルの事を調べて経験して、そこから得た経験や知識を応用していく事がやがてリターンを産むという事であれば、まずは読書からという事になるのかもしれませんが、それに加えて習慣的にしている反応を変えてみるとか、表情を変えてみるとか、色々試みるのも自己投資ではないかとも思います。

時々直面する嫌なことも、すっぱり切り捨てるとか忘れてしまうとか、その方法を編み出すとか、方法を考えてやってみるのも面白いんじゃないでしょうか。

1日1%変われば1年後には全然違う人になってる訳ですから、これはチャレンジしてみる価値がありそうです。

結局は、いろんな方法で頭のOSのアップデートをするのが自己投資なんでしょうね。
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何事もプラスとマイナスがあって、どちらもなければ成立しないというのは本で読んだ話。

もっともだと思う。

物質と反物質がくっついて無になるのであれば、どちらかが存在するためには反対側のものも存在が必要だ。

ということで、調子が上がるときもあれば下がるときも必要なわけで、ずっと平坦であれば退屈で仕方がない。

いつも気持ちよくいきたければ、気持ちの悪い時期も知っていなければいけない。

経験則が生きるところですね。

それを踏まえて、以前経営セミナーで聞いた、経営が順調な時に次の準備をしなさいという話を思い出した。

波は必ず生じるので、次の波になるものを準備するという事である。

ひとつのカテゴリー、商品で勝負するのではなく絶えず別のジャンルで準備をするという事だと僕は思ったのであるが、多分これは間違ってはいない。

順調ではない仕事を無理にごり押しするとそのままぶっ壊れるので、そっとしておいた方がいい事も多々ある。

暇な時には読書をする、人に会う、趣味に講ずる(でないと退屈で発狂しそうになる)。

それがそのうち効果を表してくるので、それが準備になるんでいい事だと思う。

要は先走りせずに、今やれることをやるだけなんだけど、これがまた難しいんですよね。

まずは座禅を組むのもいいと思う。





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毎日だらだらテレビを見てると、なんだか腹が立ってくる。

それだけでなく、スマホのトップにニュースが出てくるとイラっとする。

これはまず間違いなく、報道というものが、無くなるもの、足りないもの、羨ましがらせるものを探してきては脚色し、大げさに、しかも何度の取り上げるからだと思う。

これはプロパガンダであって、洗脳であるといえばそうであると頷けるものだと思う。

だからと言って腹を立てなくてもいいだろうにと思うのだが、そこは人間の心理をうまく利用しているようで、どうしても乗ってしまうのが弱い所である。

という事で、僕は日ごろからテレビも新聞も見ない。

スマホのニュースもできるだけ見ないようにしているが、ブラウザの広告に出てきたりするので、そこもできるだけ見ないようにしている。

そうしていて、知らない間に変な法案が通っていたりすると嫌だなとは思うのだが、そこは識者に任せよう。

世の中がどうなろうと、要は自分が幸せな気持ちでいられればそれでいい訳で、それを目的に生まれて来たんじゃないかと思うのであります。



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世界は経営でできている

という本を読んだ。

この本の最後の方には、制度と行政には耐用年数があるという事が書かれてあった。

財政健全化を目指して増税するのは官吏の常であるとし、それが限界を迎えると上手に脱税していたグループが力を持ってきて制度の交代が起こるらしい。

役者が変わっても、人類の歴史はこの繰り返しで来たとの事だ。

そう考えれば、増税路線も当たり前のことだし、そのうち制度も崩壊して新しい社会が興るだろう。

変えられない流れであれば、こちらが変化して流れに乗ればいい。

次はどのグループが、社会を掌握するのか?

今の制度は非常によくできた制度であったとは思うが、行き過ぎた増税路線では誰も幸せにはなれないので、あえて未練を残すのはどうかと思う。

ただ一度きりの人生は幸せになるためにあるのであるから。

楽しみなところである。

問題と思えることも実は次のステップの準備であったりする。

近視眼的になる事をやめて、気楽にいきたいもんである。

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小さな会社の従業員となると、必要経費的なところも自腹であったりする。

業務を遂行するのが第一目的なので、これをいかにスムーズに完遂するかという事を考えると、色々工具は欲しくなる。

これは業種にもよると思うけど、修理業ともなると、必要な消耗材も多くなる。

例えば軍手、工具類。

自分で使うものだからっていう名目で自腹で購入するわけだが、買ってみたらけっこう皆さんで使ってしまったりする。

修理を行うためにとりあえず使ってみるネジやハーネスの類もある。

これは、使ってみてダメだったら無駄になるんだけど、交換してみなければ分からない部品など。

部品の発注ミスなどもあれば誰がかぶるのかといえば、発注した人物がかぶる事さえある。

会社で買うと経費で落ちるのかもしれないが、自腹で買うとなると、手取りのお金、小遣いなどから出るので結構きつい。

可処分所得が充分あればいいのだが、中小企業ではそれほど余裕はない。

部下などを付けられた日には、働けば働くほど自分は貧しくなっていく。

これが長く続くと何のために働いているのか分からなくなっていく。

その辺が分からない経営者はなんで人が辞めるのかが分からなくなるのである。

必要経費で落とせるものは社員に負担させないというのは当たり前のことだと思うのですけれどね。

そういう会社は人材不足で淘汰されていくのでしょうね。
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昔、職場の飲み会で、先輩と社長が言い合いになったことがあります。

テーマは、

「俺の方が営業がうまい」

社長が従業員をライバル視する事には当時から疑問があったのですが、案の定、経営は苦しそうでした。

あおりを食うのは我々で、給料は上がらないわ仕事は増えないわで、不毛な争いはやめてほしかった。

従業員が優秀で仕事をどんどんこなしてくれればありがたいはずなんですが、一部の経営者としてはこれが面白くないらしい。

折に触れマウントを取って来るとなれば、社員も面白くはありませんわ。

そのうちやる気をなくすか、他の会社を探すか独立を目指し始めます。

一旦弾みがつくともう止まらないので、そもそも最初からマウントを取らなければよかったなんて事になりますね。

これは、家族も同じで、一旦心の離れた家族はもう戻りません。

国家も同じではないかな?

相手が黙っているからといって、分かってない訳じゃないという事に気づくまでには幾多の試練があるのでしょうね。

我々は、そういう事を学ぶためにこの世に来たのかもしれませんね。





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コモディティ化という現象がある。

一般化して、当たり前になる事である。

時にこれがサービスの世界でもよく見られる。

顧客と親しくなって、なあなあになると、タダでサービスをさせて当たり前と思い始める。

呼びつけて、”これ、ちょっと見て”ってやつである。

友達価格とか、ちょこっといいやろなんて言いながら、実費で修理させたがる。

これに数回でも応じてしまうとそれが当たり前になる。

コモディティ化である。

更に、こちらが自腹を切ってそれをすることになる。

会社でも同じである。

仕事を教えるのに、最初はお手本を見せる。

新人が失敗すると手直しをする。

これを何度かしてやると、いつの間にか自分が作業して、後ろから質問だけする新人という関係が成り立ってしまう。

社長の私用を手伝うのも同じ。

いつの間にやら雑用をするのはお前なって、当たり前になっている。

断るときは必ず断る。

三度に一度は必ず断る。

それでやっと希少性を維持できるのである。

まあそれなりの報酬をくれるのでなければ、自分のする義理のない仕事はやりませんって事をはっきりさせるべきである。

当たり前なんだけど、嫌われてもいいという勇気を持たないとなかなかできませんけどね。

嫌われても死にはせんのですけどね。

この辺、苦手な人には、自分を守るというのを第一に考えて欲しい所です。








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優しいひとというのはどんな人だろうか?

僕が思うに、

”あたしの言う事を聞く人”

なんだと思う。

つまり極端に言うと、あたしの言う事を聞きそうなひとが、あたしにとっての優しいひとなんである。

これがやがて、本当に自分の配下になって当たり前に意のままに言う事を聞くようになると、雑に扱っていい人になる。

これもまたコモディティ化というのだろうか?

反抗期のない子はいい子で、隷属する従業員はいい従業員なんである。

しかし、よい子が住んでるよい町は誰かのためには夢の町ではあっても、隷属する相手にとっては、自分を殺して生きる住みにくい町なのではないか?

組織的にも競争力も改善力も無いライバルにも優しい事になるのではないかと思ったりするのである。

また、優しい人たちの優しい組織は、上層部の暴走や勘違いでとんでもない方向へと驀進する。

議論は尽くさなくてもいいけど、工夫と実行は絶えずすべきである。

それを、上意下達だけの組織では、何とも頼りない限りであると思うんですが如何でしょうか?


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最近、思考が現実化するというのをさらに進めて前提が現実化するんだというのを聞きました。

なるほど、そうなんだろうなと思う。

例えば、今いる学校をやめたらだめだという前提を持っていると、どんなにいじめられてもとりあえず残ろうとする。

学校をやめれば環境が変わってすべてが一変するというのに、それには気づかず、なんでこんなにいじめられるんだろうなんて悩みながらもなんとか在籍する道を模索する。

前提が潜在意識レベルになると、本当の問題に気付かない。

無意識にそこを避ける。

無意識レベルの前提、思い込みを実現するために脳はいろいろ方法を考えて行動させようとする。

とすると、自分的にはなんでこうなるのか分からないってなる。

前提が現実化するという事はこういう事ではないのか?

であれば、意図的に前提、目的を変える事ができれば、あとは自分の脳がそのままオートパイロットで連れて行ってくれるんだと思います。

これが分かればあとは簡単。

行きたいところへイケイケどんどんです。





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♪インドの山奥で修行してー♪

ご存じレインボーマンの主題歌である。

僕はこれを聞いて、子供心に、うわー、凄いんだなぁって感心していたもんである。

そう、インドで修行するとなんかすごい感じがするのである。

いや、したと聞いただけで、もう悟りを開いたヒトみたいに思うもんだ。

本当に凄いかどうかは会ってみないと分からないんだけど、ヤマトタケソはレインボーマンに変化するので凄かった(が、悟りを開いいたのとは別のような気がするが)。

大人になって中村天風先生の本を読んだ。

肺を病んで、カンチェンジェンガでカリヤッパ先生の指導の下、ヨガの修行をしたとの事。

これもすごいと思った。

僕の感心メーターはマックスに振れたが、更に天風先生の本を読んでいるとちょっと戻った。

天風先生によると、当時のカンチェンジェンガでは腰布してても皆さんほぼフリチン状態で、天風先生がフンドシというものを教えてあげたら、見ていた偉い人(?)が慌てて飛んできて、そんなもので締め上げると体に悪いって言われたのだとか。

この状態で一生何も考えない修行をするというのは楽しいのか?

文明に毒された僕には理解できなかったけど、それがデフォルトなのであれば多分幸せなんだろうと思う。

で、この状態で悟りを開いた場合、レインボーマンに変身できるのか?

できてなんになるのか?

もはや何のメリットも感じられなくなってしまった僕の脳裏にはひとつのひらめきがあったのであります。

「遠い異世界で修行して帰ってきたんだゾ」

っていう売り文句は、

「俺は大企業にいたから何でもわかるんだゾ」

っていう、マウンティングと同じなんではないかと。

確かに、なんか凄そうって思ってもらえればとても嬉しい。

宗教の先生でも、総本山で修行してきましたとか、本部にいましたって言われると、勝手に凄いんだって思って貰える。

ネットワークビジネスで言われるティーアップってヤツですね。

そこにいたから凄いのと、本当に凄いのとでは微妙に違うんだと思うんだけど、凄いの定義があいまいなので、その人の言っている意味では多分凄いんだと思うというのが本当の所なんだろうな。

というわけで僕らの脳は、なんだかわからない事ですぐに結論を出してしまう即席麺みたな働きをするんだなって事が分かりました。

凄いな〜・・

今度からできるだけなんも考えずにAIに考えてもらお♪

いや、AIも何が凄いんだかまだよく分かりませんでしたね。





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今年は宗教2世問題が遂にというか、やっと噴出した年でありました。

思想がテーマであるだけに、組織的に隠ぺいしようと思えば隠ぺいし放題の壁の向こう側。

組織のトップがかん口令を敷けばそれはそのまま速やかに全体に浸透します。

実を言えば、僕の家は宗教をやっていたので宗教3世といえばそうである。

がっちりガチガチにやられていたわけではないけれども、子供のころから先祖と神様の話を聞かされ、夏休みには合宿みたいなのにも参加したこともあります。

なんとなくそういうもんだと思っていたけれども、学校ではなんというか、周囲の方々とは何かがちょっと違っていた感がありました。

ひとことで言うと、混乱という感じ。

基準がいくつもある。

先祖と神様とどちらに頼るのか?

したらいかんとか、こうじゃないといかんという戒律は嫌というほど聞かされているのだけれども、どうやら友達にはそういう基準は無いらしいとか、頭がよければ勉強しなくても成績が良くなるとか(なんで?)、祈ったか祈らんかで結果が決まるとかなんとかかんとか・・・

子供は素直に受け取るので、成長するにつれて矛盾が出てきて、婆ちゃんと口げんかになる。

そうすると、反抗したと言って非難される。

僕が受けた宗教は、今問題になっている組織とは違う組織であったので、あそこまでは酷くなかったけれど、それでもそのまま大人になると社会に適応できなくなるのは理解できます。

案の定僕の場合も就職には失敗しましたが。

そうはならない2世もいるのだろうけれど、組織でいい子になろうとすればするほど、それとは遠い精神に陥っていきます。

でも一番の弊害は、周囲の目を気にしすぎるようになる事だろうと思います。

人がいなくても、神様とご先祖が見ているぞなんて言われると、うかつなことはできません。

失敗したと思ったら、先生に懺悔し許しを請うという非常に正直な人間になり、テイカーと呼ばれる人たちの餌食となります。

規律は必要だとしても、人それぞれ自由に生きる方向も志向も違うのに無理やり型にはめようとするなら、いびつな形にしかなりませんよね。

それが噴出してきたのがあの問題ではないかと思うのです。

これを機に、行き過ぎたところは是正されることを希望します。












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何週か前、「うちの弁護士は手がかかる」を見てたら、ムロさんが、

「怒っていいんですか?」

って聞いたら平手さんに、

「怒っていいんです。怒るべきです」

って言われてました。

そう、この状況で怒っていいのか悪いのか、それさえ分からなくなる人種というのがいるのです。

小さい頃から、感情を出す事への事への周囲のの過剰な反応が、怒る事への罪悪感へと繋がって、いわゆる”いいひと”というのを作り上げます。

こういう人は、周囲に、いわゆるテイカーという種類の人間がいて、搾取され続けてきたものと思われます。

都合よく利用してそれはできないと拒否すると締め上げてくる毒親、上司のようなものだと思います。

人間社会の構図は概ねそういうものでできているとは思いますが、いつまでも搾取される側にいると、寂しい末路しか見えなくなる。

せめて3回に一回ぐらいは断りたい。

否定するたびに怒鳴る必要もないけど、感情は出さないとWin-Winの人生は送れない。

という事で、まずは自分の必要を満たし、それから他の人を助けるという確固たるルールを確立するべきだと思います。

どこまでも要求してくるクレクレタコラを自分の周囲から駆逐し、持ちつ持たれつの関係を築ける人とだけお付き合いするには、時には感情を出すことは必須だと思います。

その前に、自分は本当は何が嫌で何が好きかという事を理解しないといけないのが厄介な所ですけどね・・




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