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カテゴリ: 読書のすすめ

量子力学とスピリチュアルに関心があったので買いました。

タイトルなし


「タフティ・ザ・プリーステス 世界が変わる現実創造のメソッド」

今まで読んできた本と色々重なる所があります。

全部合算してなるほどと思えれば、潜在意識に入ったものと思われます。

中でも、台本に逆らわないという所はグッときました。

昭和の根性論では、無理やり現状を打破するという台本にガチ逆らう方法で、これでは満身創痍になる割に現状は変わらないどころかもっと悪くなるという事は分かっていた。

更に、流れに乗るには逆らわずに待つ事が大事と思っていたけど、この本は過去と今の台本には逆らわずに先の台本を選択するという教え。

何度も読むともっと凄い言が起こりそうです。

もっと何度も読もうっと。
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先日図書館で、「経済指標のウソ」という本を見つけました。

今まで信じていた統計がいかにアテにならないものかという事が事例をあげて説明されています。

時々実施されている統計調査とか選挙時の出口調査とか失業率の調査とか街角アンケートとか、

前からアテになるんかいなって思っていた事が、やっぱり適当かいってあらためて納得した一冊でした。

沢山のデータを集めれば平均化して実情が分かるんだって言われても、答える方はけっこう適当にやってるし、集まったデータが

「こりゃまずい」

であれば選んで出して発表するっていうのは大体想像がつく。

それを元に法律が作られ社会が形作られてきたというのが現実の事であるらしい事は、昨今の社会情勢を見ると妙に納得がいきます。

それも報道されたデータに基づいているので自分の周囲が穏便であればどうという事でもないのでありますが。

結論は、自分で調べて自分の頭で考えろという事に尽きるんではないかと思います。

読んだ感想は、

「まじめに考えすぎて疲れてたけど、世の中はっこうテキトーにできてるんだな」

ってことでした。

面白いのでご一読をお勧めいたします。







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昔、宗教で酷い目に遭った事があるので、神様というワードにはやや過敏な反応を示す僕であるが、道に迷うときにはやはりそちらに目を向けたい自分もいる。

という事で、自営業というものは仕事が暇になると時間もあるし、読書をすべきだと思っているのでこの本を手に取った。

神との対話


これを読んだら目からうろこの落ちる思い。

考えてみれば、自分も自然界の中の一個であって、神様と離れて存在しているわけではない。

そうでなければ存在すらできていないだろうという事を思い出す。

自分で創造して自分で落ち込んでいるというロジックは、かなり納得がいった。

宗教で酷い目に遭ったのも、会社でパワハラを受けたのも、不安で自分から導いていた心の環境でありました。

具体的には、

「こうなったらどうする?」

という仮定の将来を想像して、それを回避しようとして余計なことをする。

周りはそれに応じた反応や扱いをしてくるので、恐れていた状況に近い状況に落ち込んで苦しむことになった。

いや、それさえも自分で感じていただけで、実際にはそうではなかったかもしれない。

多分周りからすれば、それほど深刻な状況ではなかったと思われる。

神様の一部が、神様を認識するための経験をするためにここに来ているんだという内容は、なんだか心落ち着くものがありました。

ひょっとしたら、この現実は神様の一部である存在が夢を見ているようなものなのかもしれませんね。

2巻と3巻も読んでみようと思いました。

悩めるあなたにも、ぜひお勧めしたいです。




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まずは親を超えなさい!

という本を前に読んだ。

なんとなく読んだ。

それを最近思い出した。

突如として。

確かに、人生の初めにおけるお手本は親である。

あるいは育ててくれた人、環境である。

そうすると、その習慣、思考は自然と脳裏に刻み込まれて自分の型となる。

無意識にそれをトレースして人生を送ることとなる。

それをどこかで超えないと、同じような型の人生を送ることになる。

のが、自分では気づかないのだ。

そうだとすれば、

俺の将来はこうなるんだなって思いながら親を見る時、興味深いものがある。

別に占い師に見てもらわなくても、よーーく考えて観察すれば自分の将来は虚ろながらも見えてくるものだ。

そう言う事で、予想できる未来を変えたければ習慣を変える必要がある。

なりたい人生があればお手本となる人の思考、習慣をトレースすればいい。

なのですが、かなりの衝撃的な出来事でもなければ変えられないのが無意識の習慣なのですね。

毎日1%でいい。

いつもと違う習慣を身に付ければ一年で365%の変化が生じるわけですから、コツコツそれを実行していきたいと思ったわけです。






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子供のころ、学校に行くのがとても嫌だった。

特に家を出るとき。

今になっては理由は分からない。

今、当時の写真を見ると、顔は苦痛に歪んでこわばった写真が多い。

ブクブクと太って悲しげな写真ばかりだ。

記憶の中でも、毎日が辛く悲しい思いが自分を包んでいたように思う。

小学校低学年の時には毎朝腹痛と嘔吐で登校を拒否していた。

近所のお姉ちゃんを待たせてまで拒絶していたものは何だったのだろうか?

それが、先日読んだ斉藤茂太さんの、「豆腐の如く-融通無我のすすめ」を読んでいて少し理解できた。


僕が衝撃を受けたのは次の文。


ヒステリーというのは、自己防衛を目的として起こる心因性精神障害で、不登校の子が、朝になると頭痛や腹痛を訴えて、不登校を合理化しようとするのはもっとも身近な例である。
多くの場合、この子たちは怠け心からウソの痛みを訴えるわけではない。
反対に、いい子であろう、優等生であろう。
無理をしてでも学校へ行こうというやせ我慢を積み重ねてきた結果、その要求に応えきれなくなぅった自分をなんとか守ろうとして、頭痛や腹痛のヒステリー症状を起こす。


ああ、あれはヒステリーだったのか・・・

思い出してみれば、祖母の口癖が、「〜せないかんぞね」であった。

子供の心には、この断定の言葉で達成すべき規範が出来上がる。

こういう言い方をしていた。

「ええかね、ぜんぶおばあちゃんに言わんといかんぞね」

心の内をすべて、目指す目標も、感じたこともすべて・・

それに対して、「そんなこと思うたらいかん」という修正が入ってくる。

自分が何を思おうがそれは自然に発してくるのであるから、それをいちいち修正されていくとどうなるか。

そのうち自分の本心が分からなくなっていったのではないか・・・

「うちの子はそんな子じゃないも」というのもあった。

付けっぱなしのテレビで非行のニュースを見ては逐一

「うちの子はそんな子じゃないも」

という。

これが繰り返されると、「ああなってはいけないんだ」という強烈な洗脳が出来上がる。

これに加えて宗教の話もあるのであるが、それもまた、神様と死んだおじいさんが助けてくれるというものでありました。

一日中、ひっきりなしに語り掛け、独り言を言い、聞き続けたこれらの言葉。

かくしていい子であろうとする幼児が出来上がり、それに達する事の出来ない自分を卑下し始める。

それがヒステリーを発する原因ではなかったか。

今生きていられるのも、面倒を見てくれていた婆さんお陰でもあるし、無くなった後、助けてくれてる可能性もあるしで、恨みに思うという事ではないのであるが、幼児期の僕にはとてつもないプレッシャーがかかっていたものとは思われます。

大人の何気ない言葉、習性が子供にはとんでもなく辛い環境をもたらす可能性だってあるのだなあなんて、思いました。

とりわけ己を知ることに尽力している最近ではありますが、これは大きな進歩になったと思っています。

ありがとうございます!











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「弓と禅」

読みました。



武道と禅の根底が同じという事で、最終的には何も考えないという所に到達するという事ではないかと読み取った。

体の力を抜き、丹田に注意を集中して、考えをやめる=左脳を停止して仏陀が降りてくるのを待つ。

これはもしかして、修理で行き詰った時に、ふっと考えるのをやめて時間を置いたときに名案が出てくる瞬間を経験した時のような、あの瞬間をいつでも呼び出せる状態に似ているのではないだろうか?

書籍では子供のころに戻ると表現されていますが、色々経験して一巡して無心になれれば最強だと思います。

考えすぎの現代人に読んで欲しい本です。

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人間とは天邪鬼なもので、簡単にできる時にはしようともしないのにできない時に限ってどうにかしようとする。

これは人間関係も同じで、家族や友人がいる時には大事にしないのに、いなくなると突然追いかけ始めます。

お金も同じかな?

その辺に当たり前にいる時に大事にしてればいいのに、その時にはぞんざいに扱ってしまう。

これを逆にすれば幸せになれると思う。

勝てない時には動かないで待つ。

待ってる間にできることを一生懸命すれば、時期が来た時にはすっかり準備ができています。

このスタンスがいつもあれば、周囲の誰かがいなくなった時にも十分やったという充実感があるんじゃないかな?

あがいてヘタを打つよりも、「勝てない戦いには手を出さない」

という孫子の兵法にも通じるところがありそうです。



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かの大谷翔平選手がお勧めとしておられたので読むことにしたのが、論語と算盤



その中で、現代と同じようなことが繰り返し書かれている。

例えばこういう文がある。

「成果をあせっては大局を観ることを忘れ、目先の出来事にこだわってはわずかな成果に満足してしまうかと思えば、それほどでもない失敗に落胆する-こんな者が多いのだ。
高学歴で卒業した者が、社会での現場経験を軽視したり、現実の問題を読み誤るのは、多くの場合このためなのである。」

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そのまま今の社会を見ているようですね。

人間とはそのようなものなのですね。

という事は、パターンが掴めるという事ですから対策も立てられるという事で、勉強して当てはめて行動して変化するなら成功できるという事ではないか?

なんか、いい事を知られてとても嬉しい感じがします。

ありがとう!











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中野信子さんの「脳の闇」を読んでて、大変つらい思いをした。

それは、171ページからの「一番安いものを選ぶタイプ」という所に心当たりがあったからだ。

なんでも好きなものを選んでいいよと言われたら、一番安いものを選ぶ傾向がある。

それも、相手に迷惑をかけないようにと思っての事だ。

子供のころの記憶では小学生の時叔母に、おもちゃで好きなものを選んでいいから買ってあげると言われて高いのを探していて、

「そこまで高いのは買えない」

と、とがめられた記憶があるので、そのあたりまではそうでもなかったものと思われる。

その後、だんだんと迷惑をかけないで生きる癖がついたのはなぜだろう?

誰にも迷惑をかけたくないと思うあまり、学校でも職場でも居場所がないと感じるようになった。

元は家庭なんだと思うが、そのあたりのエピソードははっきりしていない。

この本の文章にある通り、強く言う相手には逆らえず、後でこっそりと仕返しをするという陰湿な性質が身についているように思う。

学生のころは、強引な訪問販売のセールスマンに高いステレオを買わされ、先輩にそれをとがめられると電話で断り、電話口でクーリングオフはできないと言われるとまた承諾し、今度は部屋にいないようにして受け取り拒否で配達の人に迷惑をかける。

まあ、思い出しても恥ずかしい時期を過ごしました。

強引な宗教の勧誘に引っ掛かり、就職にも失敗し、どの職場でも自分の居場所が無いと感じているところに怒られるとすぐに辞めてしまう。

いや、迷惑をかけてしまったという罪悪感から自分を責めて、そこにいられなくなるんですね。

その思考がぐるぐる回る。

自分が何をしたいのか全く分からないままに人生を送ってきた割には、今では欲しいものは全部得てきたと思える状態になったと思っています。

一体何が変わったのか?

子供のころの写真を見ると、チックのような、いつも辛そうな表情をしている。

心当たりと言えば、大学時代の同級生で笑顔のいい奴がいたのでそれを真似てみた辺りから。

家を離れたのが良かったのかもしれません。

その後も一番安いものを選ぶ修正と、疎外感と迷惑をかけてはいけないという感情は続いていたんだけれど、退陣時の表情だけは変わりました。

そのうち、相手の反応が、自分のイメージと違う事に気づき始める。

なんか、自分って、意外と好かれてるんじゃないか?

なんて思い始める。

自分が与えるお金がでもなく、物でもなく、サービスでもなく自分を気に入ってくれている人がいた。

そういう事に気づいて変わり始めたように思います。

条件付きで許されていた存在が、無条件で存在を許される自分になったんだと思います。

中野さんの本を読んでいると、中野さんも含めてそういう自己イメージを持った人と言うのは多いんじゃないだろうかと思いました。

昭和という人を物あつかいしていた時代ははるか昔。

新しいサイクルに突入した今の時代にあった人生を送りたいものです。

迷惑かけたって、自分もそうしているように、そんなの人はすぐに忘れます。

生きたいように、じゃんじゃかいきたいものですね。























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何度も読み返そうと思ったのがこの本!



頭の中でいつも語り続けるチャッターの正体が実は左脳であったとは!

自分を守るためとはいえ、頭の中でしゃべりすぎのこの人に少し休んで貰えたら、宇宙意識と繋がった潜在意識の右脳さんが出てきてアドバイスをしてくれる。

というイメージでしょうか。

確かに過去や未来を想像して延々と今の貴重なリソースを食いつぶす左脳さんには、おとなしくしていてもらえた方が良さそうです。

呼吸と意識でこれを達成するやり方も出ていて、これはお勧めの本です!



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”ここではないどこか”

をいつも探す傾向があると、いつまでも満足できない。

”ここで満足”

って感覚になると、成長が止まるかと言えばそうではない。

満足してる方が、頭もよく回るので、いろんなことがうまくいってる感じになります。

まあ所詮は満足するかどうかで、うまくいくかどうかなんていうのは誰かがジャッジしているだけの事だし。

”足るを知る”

というのは感謝の念も出てきますし、自分の為にもなるのでぜひ身に着けたいものです。


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このところずっと考えていたのが、何が正しいかって事でして、得た結論が正解はないという事でした。

大体、正解があるという前提からしておかしいことで、自然界から与えられた命題は、おそらく生存と子孫を生み出すという事のみと思われます。

それも、そうなっているからそうなんだろうという程度で、もしかしたら我々は遺伝子の乗り物に過ぎないと言われればそんな気もします。

私らの思考は本能と呼ばれる生存と子孫を残すことから発していて、よりよく生きようとか言うのはそれが満たされた辺りから加わってくるもんじゃないかと思います。

まずは生存、それから・・・

って感じではないだろうか?

それを、学校でしつけられた答え合わせの練習で、物事には正解があると思い込んでしまった。

本来ないものをあると思い込んでいるから悩む。

例外と思えるような起きた事象を受け入れることができない。

自分が歳を取ることも、環境の変化が起きる事実も忘れて、ひたすら悩む。

そうしているうちに震災が起きてコロナが起きて社会は変わりおまけに僕は瀕死の重傷を負って、それまでの価値観が破壊されて新しい人生が始まる。

正解がないのに気づけば、なんか楽になりました。

「勤勉が正しい」

なんて思い込んでいると、ブラック企業でひたすら周り車を回す羽目に陥ります。

「いつかきっとわかってくれる」

なんて思っていると、DV夫に殺されるまで殴られる羽目に陥ります。

そこには正解はないんじゃないか?

って思いつけば、逃げ出すこともできるようになります。

正解があるとすれば、誰にも答えを決められない生き方、自分で回答を出す生き方、いつも「ああ、良かったな」って自己完結できる状態を続けられる事なんじゃないかと思います。

どの成功哲学でも、結果オーライでいつでも何にでも感謝!というのが勧められる所以でありましょう。








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僕の大好きなナポレオン・ヒル博士の本がプレミア本になっている。



オークションサイトでも3000円は超える。

僕はメルカリで文庫本を2700円で買わせていただきましたが。

それでも定価900円の本が3倍である。

出版元のきこ書房が再販してないことに原因があるのもあるんでしょうが、今のところキンドル版の電子書籍とオーディオブックしかないところにまた希少価値がある。

内容はすばらしい。

悪魔と称する人類の支配者が、ヒル博士と対話するという形式であるが、これがまた文体が素晴らしく、ぐいぐい読み進められてしまう。

「思考は現実化する」

を何度も読み返した僕としてはうれしい限りであります。

「思考は現実化する」

で述べられていた話のより詳しい説明もあったからだ。

そして、元気が出る。

壁は成功の一歩手前で必ず出現し成功者は全員それを乗り越えた人であるという事が励みを与えてくれる。

これを知っていると、問題が起きたときに「ほう、来ましたか」ってなる。

そして、これを乗り越えれば成功できるんでしょ!

って思考が働く。

逆境の方がよくて、順調な時の方が怖いとさえ思えてくる。

これはかなり強い。

いい本を買いました。

何度も読んで成功をつかみ取りたいと思いました。

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ナヴァル・ラヴィカントさんの本を読んでると、幸福とはつまりこういう事ではないかと思いました。

「幸福とは、何も考えない状態であること」

これに至る事を目指して人は働き、家族を作り、健康で痛いと思う。

目的は、何も考えずに、つまりは安心して今ここにあるがままの状態で満足する状態になる事ではないかと思います。

これが往々にして、手段が目的と入れ替わる。

安心するためにはたくさんお金をためて=>たくさん働いて倹約して、節税して=>我慢して搾取して節税のために要らないものを買って=>手に入れたものを維持したり整備するためにお金を使って=>心配になって・・・

結局、好きな仕事にもつけず、家族も得られず、健康を概して不安になる。

何も考えないことが幸福であれば、今すぐに幸せになれます。

どうせ死んだら必要もないものばかりです。

心配な事を何もかも、「もういいや」って思えばいい。

頭を空にするのが難しければ、座禅もいいかもしれませんね。

ともかく心をざわつかせるこだわり全てにはそれほどの意味もないって思うことですね。

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ひろゆきさんの「無敵の思考」を読みました。



100のパフォーマンスを持つ人が疲れて50になる時があってムラのある仕事しかできなくなるのと、70の力の人が疲れなくてそのパフォーマンスを維持できるのとはどちらがいいかという事が書かれていて、ひろゆきさんは後者でいってるって所が気に入った。

これ、見倣いたい。

これから自営でやっていくつもりなので、これはやりやすい。

会社勤めだと暇があったらなにかしていないと上司がうるさいけど、自分が大将だったら仕事が終わればさっさと休めばいい。

いや、それがわかっている経営者だったら、社員の仕事に変な介入なんかしないで、必要のない時にはじっと休ませると思うんですが。

安定したパフォーマンスが出せるんだったら会社全体としても安泰だと思うんですよね。

いや、これは勉強になりました。




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頭の中の独り言ですが、これをひたすら垂れ流す傾向がある人がいます。

いや、僕もそうだけど。



前にも書いたけど、仕事中に横でこれをやられると失敗の原因になる。

手元が狂うからやめて欲しい。

家でも奥さんにやられると、こちらは一日中返事をしている事になる。

怒るとやり返されて、後がうるさい。

黙って無視すると、冷たいなんて言う。

自分の中のChatterではなく、周りの人のChatterは、かなりやっかいです。

一人で生きたいなんて思う人は、こういう雑音とも言えるChatterと別れを告げたのかもしれませんね。

どうすればこれを制御できるのか?

当面の課題であります。


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↑読みました。

満州からの引き上げの大変さを改めて知らされました。

少々のことで文句も言ってられないです。

これと合わせて満州に行った頃の話を述べた別の本を思い出しました。

その本には国策で満州に行ったら、あてがわれた住居を追い出された現地の家族が泣きながら退去していて気の毒だったと書かれてありました。

この2つを考え合わせると、複雑な気持ち。

誰かが無理を通すと、誰かがその尻拭いのとばっちりを喰う。

大きな山が起こると今度は大きな谷が生じる。

波が大きければ大きいほど、割を食う人の数も多くなり、被害が広がる。

自然の摂理とはいえ、感じ入るものがあります。

イケイケドンドンでは、どうやらうまくいかないように思います。

何事にも中庸がいいのですが、調子のいい時には慎重になり、調子の悪い時には努めて明るく振る舞う。

バランスを取って生きていくには、これぐらいしか自分にはできないんではないかな。

ついでにこちらの本↓の感想も加えると、



妄想と恐怖から、勝てない戦争をあえて行い、反戦に傾いていたアメリカ国民を刺激し、自国を滅ぼすところまで戦った二人の偉い人の失敗が、すべての原因であることから、なんとバカバカしいことで人の人生は終わらせられるのかという虚しさも感じます。











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「敵を知り己を知れば百戦危うからず」

ということで、自分の成り立ちというものをずっと知りたいと思って色々調べてたんですが、どうやら脳というものは怠け者らしい。

いや、エネルギーをたくさん遣うので節約したいらしい。

それでまとめたがる、お手軽に答えを求めたがる、カテゴリーに分けたがる、前例を求める、会議をしたがるわけですね。

行動するまでの前置きが長いのもこのせいだ!

という自分の事がわかったらどうするか?

一気に行動するのがめんどくさかったら、少しずつやればいい。

飽きてきたら違うことをまた少し。

これを繰り返せば、いつの間にか大きく進歩しているはずです。

小銭貯金と同じですね。

意識下で作業するのがめんどくさいわけですから、意識に登る前に処理する。

考えるのは、「あっ、やっとかなきゃ」って動き始めるところまで。

習慣化してしまえば、あとは考えなくていいから、楽です。













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メンタリストDaigoさんが紹介されてたんで読みたくなった本。



昔から僕は独り言言いながら仕事をしていた。

いや、仕事だけでなく、一人でいるときのも独り言を言っていた。

これは、子供の頃から行動の説明を逐一求められていた習性なのかと思っていたのですが、どうやら他の人にもあるらしい。

まあ、似たようなトラウマは誰にでもあるのでしょうけど。

この習慣、なんとかならんかと思って、寡黙な男になるわけですけれども、今度は上司にホーレンソーがなっていないとか文句を言われる始末。

どうすりゃいいんじゃって思いながら苦節12年。

改善することなく晴れて退職しました。

(だって、報告したら別の指示が飛んできて、お客さんとの打ち合わせどおりの作業ができなくなるんだもん)

それはともあれ、今度こそ心の中の声を封殺、いや、味方につけるぞと決意して購入することにしました。

かなり人気のようで、品薄で、オークションサイトでも定価超えの出品が多数。

共感する仲間がたくさんいる模様で、恐るべしであります。






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何が人を不安にならせるのかというと、人と自分を比較する時。

人が持ってて自分にないものに注意が向くと焦りや後悔や怒りが起きてきます。

逆に、自分の持ってるものに注意を向けると安心と感謝が湧いてくる。

だからマスコミに接すると、感情が揺さぶられます。

人は人に関心を持つものだから、ニュースに目をひかれます。

でもこれは危険。

いつの間にか物欲に心を乱され、心は落ち込み、疲れ切ってしまいます。

アレがないから自分は劣ってるなんて考え出すとどうしようもない。

これがあるから幸せだなんていうのもおかしな話です。

ただあるから幸せだという悟りの境地に達するのには邪魔な自在ですね。

魅力はあっても危険な人や情報からは意識して自分を遠ざけ、自己完結できる明鏡止水の自分でありたいものです。




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