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昔、宗教で酷い目に遭った事があるので、神様というワードにはやや過敏な反応を示す僕であるが、道に迷うときにはやはりそちらに目を向けたい自分もいる。

という事で、自営業というものは仕事が暇になると時間もあるし、読書をすべきだと思っているのでこの本を手に取った。

神との対話


これを読んだら目からうろこの落ちる思い。

考えてみれば、自分も自然界の中の一個であって、神様と離れて存在しているわけではない。

そうでなければ存在すらできていないだろうという事を思い出す。

自分で創造して自分で落ち込んでいるというロジックは、かなり納得がいった。

宗教で酷い目に遭ったのも、会社でパワハラを受けたのも、不安で自分から導いていた心の環境でありました。

具体的には、

「こうなったらどうする?」

という仮定の将来を想像して、それを回避しようとして余計なことをする。

周りはそれに応じた反応や扱いをしてくるので、恐れていた状況に近い状況に落ち込んで苦しむことになった。

いや、それさえも自分で感じていただけで、実際にはそうではなかったかもしれない。

多分周りからすれば、それほど深刻な状況ではなかったと思われる。

神様の一部が、神様を認識するための経験をするためにここに来ているんだという内容は、なんだか心落ち着くものがありました。

ひょっとしたら、この現実は神様の一部である存在が夢を見ているようなものなのかもしれませんね。

2巻と3巻も読んでみようと思いました。

悩めるあなたにも、ぜひお勧めしたいです。




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特に暇なとき、脳が空回りし始める。

厳密に言うと、左脳と言われる理屈脳が働き始める。

昔朝ドラできいたセリフだけど、人は暇だと思考し始めるのである。

〜だから失敗したとか〜したからこうなんだとか、こうしたらいいとかああしたらいいんじゃないかとか、空白の時間を埋めようとするかのように無駄な時間を作り始める。

これが始まると、ろくなことを考えなくなる。

待っとけばいいものを、いらんことして台無しにする。

投資に例えると、待っとけば値は戻るのに一番下がったところで損切りに走るとか、人間関係では、要らんこと言って怒らせた後すぐに修復しようとして火に油を注ぐ様なことをしてしまう。

人はほっとけば気持ちも落ち着くし、嫌なことも忘れるのよ。

いわゆるマシュマロテストで失敗する人は、性急に行動して最悪のタイミングで行動してしまう傾向があると思う。

問題が起きたらそれは一旦置いといて、他の事に集中することができなければ何事もうまくはいかない。

不安が起きたら逆にゆったりする方がいいと思う。

感情は行動に追従するので、読書や両行、温泉とかがいいですね。







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日本人に多いという不安遺伝子ですが、それがどうしても自分のコントロール下に無いものに注意を向けさせる。

南海トラフとカ健康や税金や将来の生活、上がらない給料や可処分所得、上司や部下といった自分の力じゃコントロールできないものをどうにかしようとして考えだすと、どうしようもない不安に苛まれる。

過去はもう終わったことだから安心かと言えば、あのときこうすれば良かったなんて、どうしようもない事を考える。

こういった脳の癖が、できない教科をできるようにしようと奮闘し、得意な教科に投入する資源が少なくなって平均化された人間が出来上がる。

本当はコントロール下にある得意分野、持っている稼業、才能を活かす事に全力を尽くせば安心も得られるし、どんどん発展していくのに・・・

ああもったいない。

明日の事なんて誰にも分からないのに、むしろ今できることを伸ばしていけば確実に成功できるのに、なぜに日本人はできない事ばかりを考えるのか?

子供のころはそうじゃなかったと思うんだけど、周囲の大人が呑気にしている子供を心配して、

「こうしないとやばいよ」

ってひたすらたきつけてきたように思います。

コロナ以降、色々壊れてそれは壊れてきたとは思いますが、マスコミは相変わらずやってますね。

という事で、えも言われず不安な感情が起きてきたら、

”自分にコントロールできないことに気を向けてはいませんか?”

ってことを考えて欲しいなとか思ってますよって事でした。

コントロール下に置けないものをどうにかしようとするのではなくて、今コントロールできるものを大事にして伸ばしたいですね。

安心はそこから生まれるのですね。



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いろんな人を見てきましたが、結局素直じゃないと幸せにはなれないみたいです。

いつも人の裏をかこうとか横取りしようとか裏があるんじゃないかって考えてたら、自分すら信じられなくなる。

目の前にあるチャンスや幸せも掴めない。

やってみろって言われたことはやってみる。

調べてみろって言われたら調べてみる。

ただ、これには前提があって、周囲の人がそれなりに善良で優秀でなければいけない。

搾取したり、貶めようという人がいう言葉には注意していないとただの奴隷になってしまうからです。

宗教の人に多いんだけど、本気でいいと思って人の権利を侵害してくる人もいます。

「それって自分が決める事なんじゃない?」

みたいなことを平気で指導に来たりする。

親にもいますね。

「あんたはかわいそうな子」

なんて、幸不幸は本人が感じることであって人に決められることでもない。

そういう環境であれば、少しは用心深くないと、とんでもないことになります。

でも、総じて社会も自然もそんなに複雑でもないと思います。

見たまま、感じたままでOKみたいなところも多々ありますね。

「ああ幸せだ」

と感じたらそれでいい。

「安心だ」

と感じたらそれでいいような気がします。

それが壊れるんじゃないかなんて考えなくても何とかなりそうな、いや、なってきたんで今生きてるんだし。

まあ、素直な人は周囲からも信頼されますしね。




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ナヴァル・ラヴィカントさんの本を読んでると、幸福とはつまりこういう事ではないかと思いました。

「幸福とは、何も考えない状態であること」

これに至る事を目指して人は働き、家族を作り、健康で痛いと思う。

目的は、何も考えずに、つまりは安心して今ここにあるがままの状態で満足する状態になる事ではないかと思います。

これが往々にして、手段が目的と入れ替わる。

安心するためにはたくさんお金をためて=>たくさん働いて倹約して、節税して=>我慢して搾取して節税のために要らないものを買って=>手に入れたものを維持したり整備するためにお金を使って=>心配になって・・・

結局、好きな仕事にもつけず、家族も得られず、健康を概して不安になる。

何も考えないことが幸福であれば、今すぐに幸せになれます。

どうせ死んだら必要もないものばかりです。

心配な事を何もかも、「もういいや」って思えばいい。

頭を空にするのが難しければ、座禅もいいかもしれませんね。

ともかく心をざわつかせるこだわり全てにはそれほどの意味もないって思うことですね。

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