サイキ整備Service

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タグ:生きる

昨年、事故で死を予感した経験以来、思う所は、

「死んだら終わり」

という事です。

そう、どんなに栄えても衰退しても、最後は、「死んだら終わり」なんですね。

だったら、生きてる間にやりたいことをやるべきではないかと思うようになりました。

社畜でいても自己実現は果たせない。

なんで利己的な経営者を富ませて、自分を殺さなければならないのか?

それが、自分の生きる意味か?

生まれてきた理由か?

もっとなにかにチャレンジして、自己実現すべきではないのか?

明日は死ぬかもしれないのに!

そういう実感がわいてくると、いままで上から目線でガンガン言われて必死で働いてきたのは何だったのか?

まあ、そういう心理に至るわけです。

となれば、自然と後の行動は変わるわけですね。

言いたいことは言い、したいことはして、思い残すこともなく満足して死を迎えられたら最高ですよね。




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奇跡とは=いい出来事で自分の常識とかけ離れたことが起きる事と定義できると思うのですが、

この、常識とはなんぞや?

となれば、単なる思い込みであることが多分にあります。

誰かに吹き込まれた、あるいは自分が習慣的に作り上げてきた思考の思い込み。

かたくなに、

「それが常識でしょ?」

って、頭の中に出来上がった固定観念。

これからかけ離れた、いい出来事が起きると人は奇跡と思う。

この辺からスタートすると、毎日奇跡の中で生きているという事に気が付きます。

例えば、重力。

私らは、当たり前に地面にへばりついているわけですが、これがなければ宇宙に飛んでいきますね。

逆に高い所から下を見ると、引力に引っ張られて落ちるんじゃないかと怖い思いをします。

引力が当たり前だと思っているから。

でもこれ、どうしてそうなっているのかが分からないだけに奇跡と言えないでしょうか?

宇宙飛行士が宇宙空間で浮いているときに宇宙船から切り離されたらどうなるか?

同じく宇宙に浮かぶ、地球という宇宙船が私らを引っ張ってくれていなかったら・・・

そう考えて、空を見上げて、引力があって良かった〜!

って思えるなら、感謝の気持ちに満たされます。

自分の細胞が生きるために毎日働いてきてくれたので今も生きていられる。

これもまた奇跡だと思うけど、当たり前だと思えばそれを認識できない。

既に奇跡的に自分の命があることを忘れて、

”奇跡的に”少しのお金が舞い込んでくることを祈って毎日を過ごすなんてなんだかおかしい感じもします。

今与えられている良いものを大切に、感謝していけば幸せになれるのに、”もっともっと”って欲を出すからいきなり不安になるんではないかと思うのですよね。















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子象の鎖

という例えがある。

無力な小象の時に繋がれた鎖が力のついた大人の象になった頃にも有効に働くってやつ。

自己啓発の話なんかに出てきますね。

単なる思い込みです。

これが、子供の頃に刷り込まれた教育で当たり前に社会常識になっている。

職場で出てくる慣例ってやつがそうかも知れませんね。

前例がないからできないってやつ。

それを飛び越えれば新しい世界が開かれるというのに。

年功序列に終身雇用、温情主義なんていうのも、これまでそうだったからというので安心してたらあっさり首切りです。

時代は変化していて、これまでの思い込みはどんどん壊れていっております。

これからは、”生存”という一点だけブレずに他のことはすべてフレキシブルについていかなければやっていけない。

これまでもそうだったんでしょうけど、そのスピードがどんどん速くなっていると思います。

今を生きる。

ファジィに生きる。

水の柔軟性を身に着けたいものですね。

特に精神面でこれは言えると思うんですよ。





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