サイキ整備Service

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タグ:目的

成功者はたくさん挑戦をしているらしい。

そして、たくさん失敗もしているとの事。

要は、トライ&キャッチを繰り返しているという事で、その中からスキルが身についたりチャンスを得たり、人脈ができたりしていくのだろう。

なるほど言われてみれば、なんにもしなければ何にも生まれない。

納得ずくでなければ行動しないというのでは、チャンスも経験も限定されてしまう。

そう言う事で、面白がってどこにでも首を突っ込むのはいい事だと思う。

そして、もう一つ成功者の特徴で、決めた目標に向かって飽きずにやり続ける事。

手段は選ばないけど、決めた目標は容易には変えないって言い換えた方がいいかもしれない。

いろんな手段を試みながらいつの間にかそこに辿り着いているというのが成功者ではないかと思う。

何を成功というのかは人それぞれだろうけど、もっとも心地よい状態に到達するのが成功というのだろうか。

その時その時にはなんだか一貫性のない人生を送ってきたように思うけど年を取って振り返ると

「自分はここに辿り着きたかったんだな」

なんて達観できるような人生を送りたいと思うのです。

というか、結果そうなる人が大半なんではないだろうか?


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何事も目的というのが無いと意味がないと思うのが人間の思考というものらしい。

以前起業した知人がおばちゃんを採用する理由を説明するのに

「女は疑問を持たん」

って言ってましたが、全員がそうでもないとは思いますが、おばちゃんが固定観念から習慣化しやすいというのはあるかもしれませんね。

それはさておき、運動するときにも勉強するときにも、

「なんでこんなことしてんのかな?」

なんて考え始める。

「俺がこんなに苦労しているのに、その稼ぎで2代目は豪遊かい!」

なんて考え始めるのも、労働の目的が何かという所で疑問を持ったわけでしょう?

この場合の経営者の目的は自分と自分の身内が富むことであるので、労働者との目的の乖離があるわけですね。

目的がはっきりすれば、そこに辿り着くためには何をすればいいかという手段も出てくる。

現状維持が目的なら今のルーチンワークが容易に習慣化してしまいます。

なんにせよ、目的というのは大切なもんです。

目の前にある仕事であれば、お客さんのオーダーにこたえる事。

勉強であれば、学歴を得る事であったり自分の能力を伸ばすことであったり、分からないことを分かるようになったり、以前はできなかったことができるようになったりしたいという所に目的がある。

これが、近視眼的になって今この時間を潰すとか、誰かに怒られないようにするとかといった目的が生じたときには、もっと先の自分が成長するとか誰かのためになることとかに変更した方がいい。

到達したい目的さえしっかりしていれば、そこへの行動は自動で出てくるし、動き始める。

目の前の勝利だけを目標に勇猛果敢に突撃して破滅に驀進していった旧日本には到達すべきビジョンがなかったのかもしれませんね。

そういう意味でも、最終的に自分がどこに向かいたいと思っているのかという事は、時々確認した方がいいと思うんですね。










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成功哲学でよく聞くのが潜在意識ですけど、あれは結構あたっている。

無意識に鍵を締めていたり物を持っていたりとなにかと便利であります。

子供の頃、出かけようとして野球帽を探し回った結果、見つからず、もういいやって思った瞬間、何気なく棚の上から帽子を取り上げてかぶった事がありました。

親も巻き込んで探してたのに!

なんでさっきまで見つからなかった!?

なんて思いながら親子で吹き出しました。

これ、潜在意識ですよね。

なんにも考えずに目的だけしっかり見据えていれば、そこに行き着くまでのプランはどうやら潜在意識が自動で動かすらしいです。

逆に、目的が定まらず、目先の思いつきで思い悩んでいると、目の前にあっても見えていない事が多々あります。

自分が何になりたいのか、何をしたいのか、この辺を決める事が成功の第一歩でありますね。




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以前なにかの本で、弟子が師匠に

「どうすれば成功できますか?」

って聞いたら、いきなり顔を水に浸けられて頭を押さえつけられた話を読みました。

苦しくてあがいても放してくれなくて、やっと放してくれたときに弟子が

「なんてことをするんです!」

って問い詰めたら、

「それだけ必死になれば成功できる」

と言われたとか。


そのとき僕は、そうか、必死になればいいんだって思った。

でもそれは微妙に違っていて、つまりは意図的に必死になるのではなくて、目的をハッキリさせるのが先で、そのために必死になるのではないか?


つまり、僕がダンプにひかれた(ヤな表現だ)
直後に思ったことは、

「命が助かった、指ブラブラしてるけど、コレぐらいなんとかなるさ」

と思い、次に思ったことは、

「この指なんとか繋いでもらいたいな。繋がってるだけでいいから」

となり、繋がったら、

「なんとか動かないかな?」

って、段階的に目的が変わっていった。

その段階ごとに必死で方法を見出そうとしたんでありますが、このプロセスを今から考えると、先に目的があってそれに向かって必死に動いている。

決して必死が先ではありません。

ということで、成功したいならまずはどうしても遂げたい、ハッキリとした目的があること、なければ探すこと。

それがないなら成功はできませんよってことだと思います。

なにをもって成功とするのか?

行き先もなくただ成功したいというのはありえないということ。

どうしても遂げなきゃならない、遂げたいと思う必死さは自然に出てくるもので、冒頭の寓話で師匠は、

「それだけ遂げたい目的があるのか?
あればもうすでに必死でやってんじゃないのか?」


って聞いても良かったんではないのか?

と思います。

僕も事故であんな目にあわなきゃ実感できなかった。

これぞ、怪我の功名です。
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