「言葉が多ければ、とがを免れない、自分のくちびるを制する者は知恵がある。」(箴言 10:19)

聖書の一節である。

お喋りの奥さんといると、これが実に難しい。

ひっきりなしにしゃべる。

話がループする。

どんな話題でも自分の話にする。

脳のリソースの7割は喋ることに使われるというが、聞く方にもかなりのリソースが使われる。

妻のトリセツ (講談社+α新書) [ 黒川 伊保子 ]には、相槌を打つだけでいいと書いてあったが、これもまた辛い。

「あなた、聞いてるの?」

という質問がである。

意見を言ってはいけない。

それに対しての反論がある。

ツボにハマろうものなら、

「あたしが悪いの?」

である。

こっちは適当に一般論で返事したのに、酷いときには、

「そうそう、全部私が悪いのよ!」

である。

そうなると、次の日も、また次の日も、折りに触れ、嫌味を言ってくる。

最初はこっちも適当に話題を出していたが、そのうち話のタネが尽きてくる。

そうなると、会社での不満や、感じたことが知らない間に出てくる。

そうなれば、雪だるま式に話の質が低下する。

そして、なぜか彼女から出てくる提案は、

「もう会社辞めたら?」

である。

これがまたしつこくて、折りに触れ、リフレインする。

僕は話題として振った些細な不満が、彼女の中で増幅して、僕が仕事を辞めたくてたまらない事になっているようである。

この執拗な詰問で、本当に会社に腹が立ってくる。

会社から帰って色々話しているうちにまたその話題が出る。

「今日は辞めるって言ったの?」

って、拷問である。

それで自分でもどうして辞めたのか分からず仕事を辞めた事もある。

生活に困窮すると、ダメ亭主扱いである。

その後仕事に就いてもまた同じサイクルが始まる。

生き地獄である。

妻の母が無くなる前の闘病時は酷かった。

仕事から帰るなり、病院での仕打ちから、自分の対応、お母さんが死ぬのではないかという不安がリフレインされる。

堪りかねて、自分も大変なんだと言うことを理解してもらいたくて、仕事の大変さを述べるとまたあの地獄のサイクルである。

このときも心がおかしくなって、衝動的に仕事を辞める羽目になった。

後に復職したが、立場も報酬も大幅に減となった。

彼女は分かっていないが、折りに触れ僕に根性がなかったというニュアンスが繰り返される。

こういう経過で、返事をしないという対策を身に着けた。

話題を求められたり意見を求められたりしそうになると、反応をしないのである。

僕の話など、どうせたいして聞いてはいない。

前に兵庫に子供を送った時には、次の日に仕事があるから早めに帰りたいと言っているのに、5時になってもまだ自転車の保険に入るかどうかで悩んでいた。

自転車屋で購入したときには、500円の保険はいらないって自分で断っておきながら、宿舎に帰るとやっぱり入るという。

電話で聞くと、乗って帰った自転車を持ってきてくれないと保険はかけられないという事で、3キロほどの道のりを子供がまた乗っていかなければならない。

夕暮れ時にまた子供に行かせるのも危ないし、自分は帰りたいしで、怒りが頂点に達した。

自分らしくないことだが、遂に怒鳴り上げたのだが、それでも理解できていないようだった。

以来、「あたしはバカだから」がリフレインされる。

これには無反応しか対策がない。

無意識の行動というやつは、もう、どうしようもないのである。

まあ、それでも生きていかなきゃならないですもんね。

ともあれ、言葉で人を支配したがるのだけはやめてほしい。

他は満足なのだから。


「言葉が多ければ、とがを免れない、自分のくちびるを制する者は知恵がある。」

昔の賢人も同じ目に遭ったのだろうか・・・?

一度お会いして、話を聞いてもらいたいものである。